第九は、絶望と、そして希望と勇気を与えてくれる
佐渡裕さんインタビュー(後編)
サントリー1万の第九の顔ともいえる指揮者の佐渡裕さん(55)。これまでに200回以上、第九を指揮したという佐渡さんにとって第九とは、また1万人の第九とは何かを聞いた。(前編はこちら)【聞き手・西田佐保子】
「人は一人で生きているのではない」を教えてくれる曲
1万人の第九の参加者は、3カ月間努力して、難しいドイツ語や音程を覚えます。決して暇なわけじゃないですよね(笑い)。仕事、家事、勉強、子育て、介護、あるいは闘病しながら、それぞれ異なるストーリーを持った1万人が本番に挑む。そして演奏後は「やりきった」という達成感を得て、「今年よく頑張ったな」「いろいろなことがあったけれど、来年もいい年でありますように」と一年を振り返ります。
振動する空気に包まれる――。音楽とはただそれだけのことなのかもしれません。けれども第九は「人は一人で生きているのではない」と、強く感じさせてくれます。人は、別々の土地で生まれ、別々に育ち、別々のことを考えて生きている。複雑化する世の中で、言葉も文化も宗教も違う人たちが一緒に生きているのは、実は「喜び」だと僕たちに教えてくれる曲のような気がします。そして、それこそが音楽の持つ役割かもしれません。
1万人が音楽をする意味を教えてくれた
1万人に何かを伝えるには、シンプルで皆の心にすっと届く言葉が必要です。難しい言葉では決して伝わりません。1万人に、合唱する喜びやオケのおもしろさ、ベートーヴェンの素晴らしさをいかに伝えるかを学び、僕自身とても勉強になりました。
「人はすてたものじゃない」。1万人の第九の演奏後、いつも思います。「人っていいな」と。1万人の第九は、オケ、合唱団、合唱指導の先生、音響や舞台スタッフ、企画チーム、毎日放送のスタッフなど、多くの人の力が合わさって初めて実現します。「全ての人が兄弟になる」のは、とても難しいことなのかもしれない。第九の歌詞には、「必ず」という意味を持つ「Mus(ムス)」という言葉が何度も出てきますよね。「愛に満ちた神がいるに違いない」「星のかなたには神がいるに違いない」など、「絶対にそうだ」と何回も強調している。そこまで念を押さないと、メッセージが世の中に伝わらない。だからこそ、「自分たちが力を合わせなさい」と。その意味でも、この曲はシンプルなハッピーソングではありません。人間賛歌ではあるけれど、人に絶望と、そして希望と勇気を与える曲だと思っています。
僕は、美しい音を求めていました。音程、バランス、テンポ、フレーズ。これらを全て操る場に興味のあった僕が、1万人を通じて変わってきた気がします。音楽をする意味を教えてくれた。音楽が人にとって何かを、ここの指揮台に立って学びました。これはとても大きなことだと思います。
ベートーヴェンはとてつもない傑作を書きました。でも1万人の第九の客席に聴きに来たらびっくりするんじゃないかな。だからこれからも第九でベートーヴェンを驚かせ続けたいと思います。
毎日新聞ニュースサイト
「クラシック・ナビ」に2016年掲載
http://mainichi.jp/classic/