ベルギーの首都、ブリュッセルの5つ星ホテル『ホテル・メトロポール』が廃業、とのニュースがあった。1895年開業の長い歴史と格調を誇り、建造物としても壮麗なものである。
5年ほど前のパリ、ブリュッセル同時多発テロでの観光客激減、そして終息の見通しが立たない新型コロナウィルスの影響によるものと報道されている。なんとも嘆かわしい。なんとか復活をと願う。
このホテルのバーで誕生した名高いカクテルがある。アフターディナー・カクテルを代表する「ブラック・ルシアン」である。発祥のバーで飲むことはもう叶わないのだろうか。
1949年に「ブラック・ルシアン」(黒いロシア)は誕生したようだ。ホテルのバーテンダー、ギュスターブ・トップス(愛称ギュス)が、隣国ルクセンブルグの駐アメリカ大使(1949-1953)として赴任していたパール・メスタ女史のために創作したと伝えられている。
当時の航空事情からすると、メスタ女史はブリュッセル経由でルクセンブルクと本国アメリカを往来していたと思われる。往来の度にこのホテルに宿泊していたらしい。
ある夜、彼女がギュスに、何か新しいアフターディナー・カクテルを飲みたいと頼んだのがきっかけだったようだ。ウオツカにコーヒーリキュールをミックスするというシンプルなものであるが、メスタ女史は大いに気に入る。そして国内外の客にも愛され、世界に広まっていった。
この頃は第二次世界大戦後の東西冷戦時代を迎えていた。ウオツカのロシアにコーヒーリキュールの黒っぽい色、そしてネーミングが、アメリカを盟主とする西側陣営に気に入られた、との解釈もある。
メスタ女史は全米女性党で活躍し、男女平等憲法に関して発言力を持つなど活動家として知られ、1940年には共和党から民主党へ転向した。一方で社交界においても華々しく、彼女が催す超党派のパーティーに招かれることはステータスであり、ワシントンの政界に認められた証でもあった。
そんなメスタ女史が気に入ったカクテルが広く知られていくのは当然のことであろう。ブロードウェイミュージカル『コール・ミー・マダム』(1950/映画化1953)の主役の役柄は彼女をモデルにしたものだった。
一方、ギュスの愛称で人気のあったトップス氏はルクセンブルク生まれで、ルクセンブルクでバーテンダーとなり、おそらく戦後にブリュッセルの『ホテル・メトロポール』へ移ったのではなかろうか。ルクセンブルクのバーテンダー協会を創設しただけでなく、ベルギー・バーテンダー協会の初代会長でもあった。
1971年に東京で開催された国際バーテンダー協会(I.B.A.)インターナショナル・カクテルコンペティション第20回大会(バーテンダーの世界大会)に、トップス氏はベルギー・バーテンダー協会会長として来日している。