向田邦子は小説『あ・うん』の中で、“コーヒーには秘密が似合うような気がする”と書いた。作品が上梓されたとき学生だったわたしは、この一節に痺れた。太宰治の『富嶽百景』、"富士には、月見草がよく似合ふ"にはなんの感慨も覚えなかったのに、不思議だった。
30年も前の痺れはこころの芯に地熱のように残っていて、いま“ウイスキーはひとを正直にさせる”なんて書く自分がいる。あらためて向田邦子に畏敬の念を抱く。
ただし一日に最低10杯はコーヒーを飲むわたしの場合、秘密が香る余地などない。たまに「カルーア・コーヒー・リキュール」で気持ちのスィッチを切り替える。仕事に疲れた深夜、小さなショットグラスにリキュールを満たし、ストレートでゆっくりとじんわりと味わいを噛みしめる。
カクテルでは世界的に有名な「カルーア・ミルク」がある。とてもおいしい。木枯らし吹く夜、甘く温かいものが欲しくなると、バーでホットにしてもらう。また自宅で寝る前にホット・ミルクを多めにして飲むのも好きだ。
こんな愉しみ方を覚えたのは、あるとき「カルーア」誕生と『あ・うん』の時代設定が合致しているとわかり、なんとなく愛着が芽生えてからのことになる。
『あ・うん』は日中戦争(1937年勃発)前夜が舞台。恐慌から抜け出し、戦争の足音が迫りつつも小春日和のような暢気さもあった不思議なひとときが描かれている。当時、コーヒーを飲ませる店、喫茶店やカフェー(女性が給仕する店)は東京に1万軒を数えるほどあったといわれている。
同時代のメキシコでは1930年、セニュール・ブランコという人物がコーヒー・リキュールのレシピを完成させる。カリブ海を望むメキシコ湾西岸、ベラクルス州の亜熱帯気候の高地で、アルバレス兄弟が栽培したアラビカ種のコーヒー豆を使って生まれた。この兄弟が育てたコーヒー豆はかすかなチョコレートの香りがして、コクと酸味のバランスがよく、繊細な風味をもたらした。
そして1936年に薬剤師モンタルヴォ・ララによってレシピに改良が加えられ、より洗練された香味となり、世界的なリキュールへの道を歩みはじめるのだった。
ベラクルス州ではいまこの時期、12月初旬にコーヒー豆が摘み採られ、メキシコシティとアメリカ国境との中間点に位置するアグアスカリエンテス州に運ばれていく。
ここで良質なアラビカ種のデリケートな風味が最大限生かされるよう細心の注意をはらい焙煎し、粉砕粒度も厳格を極め、最高レベルの純水でコーヒーを抽出する。さらにメキシコ産バニラと砂糖、サトウキビからつくられた高品質なスピリッツを用いて「カルーア」は生まれる。現在、最後の瓶詰めはアメリカでおこなっている。
ちなみに「カルーア」とはコーヒーを言う、アラビア語の“qahwa”(カフワ、カーワ)が転訛したとの説がある。