葡萄の実りの知らせが届きはじめた。夏の陽光をたっぷりと浴びて糖を蓄えた葡萄は、たわわに誇らしげに収穫の朝を待っていることだろう。
ワイン用葡萄品種のなかでもいち早く収穫を迎えるのはアリゴテだ。辛口白ワインとカシス(黒すぐり)のリキュールでつくる「キール」がある。このカクテルが生まれたブルゴーニュ地方では、辛口白ワインにはアリゴテが使われる。
「キール」は第2次世界大戦終結後まもなくに、ブルゴーニュ地方の都、ディジョン市の市長キャノン・フェリックス・キールが農業振興策として考案したとされる。市の公式レセプションで供され、やがて市長の名がカクテル名となった。
アリゴテはちょっと可哀想な品種である。いまではバランスのよいものが生み出されているのだが、長らく酸味が強く洗練さに欠けるといわれ、シャルドネよりも格下の扱いを受けてきた。当時、市長はなんとかアリゴテにも注目させようとしたのではなかろうか、とわたしは勝手な解釈をしている
さてもう一方のカシス・リキュール。ディジョンで採れたてのカシスを生で食した友人で先輩にあたる酒類研究家がこう語っていた。
「酸味と苦み、かすかな甘味のレベルが際立っている。ワインの名醸地は葡萄だけでなく、カシスにまで複雑なニュアンスのおいしさをもたらすのか、と感動すら覚えた」
カシス・リキュールといえば1841年に世界ではじめて近代的手法で製造を開始したルジェ・ラグート社の「ルジェ・クレーム・ド・カシス」が名高い。キール市長もノワール・ド・ブルゴーニュ種とブラックドーン種のみを厳選した、ルジェ・カシス(通称)でなくてはならなかった。友人は「生果を食べて、よりルジェへ敬意を払うようになった。カシスの豊かな味わいがすべて凝縮されたリキュールだ」とも言った。
恥ずかしながらわたしは、それまであまり関心はなかった。カシスについて人に聞かれると、なんたって抗酸化作用、ブルーベリーよりも眼精疲労によく効くし、冷え性改善や美容にもいい、と酒のコメントとは思えない健康食品の通販的売り文句を発していた。
「酒入門者、とくに若い女性の酒といったイメージがあるが、ベリー系のただ甘いだけのリキュールじゃない」
こう友人に諭されて、わたしも認識を改めた。自宅で簡単につくれる「キール」をよく飲む。一般に辛口白ワインの風味を生かした食前酒とされるが、ルジェ・カシスの分量を多くすれば食後酒として甘酸のコクを愉しめる。ワインを飲みながらの食事の後には手軽だし、デザートの氷菓にルジェ・カシスをかけてもいい。