船着場を目の前にしたコロニアル様式の建物の2階にレストラン・バーはあった。60歳前後の年輩と思えるが、小柄で金髪のショートカット、悪戯好きの少女のような笑顔を見せるマダムが窓際のテーブル席に案内してくれた。
従業員は休憩中で、広いフロアにマダムとわたしのふたりだけ。大きな窓は開け放たれ、天井にはこれもまた大きなファンがゆっくりとまわり、いたってのんびりとしていた。
黄昏にはいくぶん早く、熱帯の青い海が望め、入り江に沿った緑が茂る斜面にはショートケーキのような白い家々が点在する。少し離れた大桟橋にはカリビアンクルーズの白い豪華客船が停泊していた。チャーミングなマダムにすすめられたバルバドス産のゴールドラムのロックは柔らかな甘さで、海からのやさしい風が味わいをより高めてくれているようだった。
20年近く前、カリブに浮かぶ小さな島国、グレナダの首都セント・ジョージズでのこと。
しばらくして、ひとりの女性客が入ってくる。わたしからは離れたカウンター席に座ったのだが、マダムは手を叩いて声を出して笑いつづけた。
その理由がわからないまま、わたしはどぎまぎしつづける。女性はおそらく20代後半であろう。肩にかかった艶やかな黒髪に白いミニのワンピース、そして青いハイヒール。スタイルもいい。ラテン系の顔立ちで、タイプはまったく違うが、映画「白いドレスの女」のキャスリーン・ターナーの妖艶さに負けてはいない。
マダムがお世辞にも上手とはいえないシェークをして、塩でスノースタイルにしたカクテルグラスに注いだのは「ブルー・マルガリータ」。なるほど、ハイヒールの色とコーディネートしたのか、と推察する。遠目にも、白いドレスで青いカクテルを飲む姿はセクシーだった。
すべてが映画のワン・シーンのようで、わたしはさほど飲まずして酔いしれていた。
車のクラクションが鳴った。白いドレスの女は、じゃあね、とばかりカクテルを飲み干し、青いヒールの音を響かせて出ていく。
もっと見惚れていたかったわたしは、きっと無念の表情をしていたのだろう。笑いながらマダムがやってきて、頼んでもいないラムのお替わりをテーブルに置いた。そして「セクシーだったでしょう。わたしとあなたの反応に満足していたわ。彼、これからパーティーなのよ」と言う。「えっ」とわたしが怪訝な顔をすると、「だから、彼よ」と返されて目を丸くしたわたしを見つめながらマダムは涙を流すほど笑い転げた。
彼という人はゲイではなく、驚いたことに、いまでいうコスプレ・マニアだった。
「クラクションを鳴らしたのは奥さんで、おそらく男装のはずよ。彼、最近、女装が一段と上手になったわ」
コスプレ君はイギリスの資産家の御曹司で、この島に豪壮な別荘があり、度々やってくるという。ラテン系に見えたのはカツラの黒髪と化粧のせいだろう。
マダムが真顔で「わたし、ブルー・マルガリータをつくったの、はじめてなの。ビーチやプールサイドのバーなんかのほうが似合うものね」と言ったとき、納得した。そうだ、演技だからこそ、臆面もなくブルーのコーディネートができたのだ。