スコットランドを旅すると、光と影を強く意識する。それは谷崎潤一郎が著した『陰翳礼讃』の日本の文化風土とはまた異なる知覚だ。ただしスコットランド独特の陰翳(いんえい)は谷崎の世界に通じるものがあり、日本人が受け入れ難いものではない。
たとえば空模様。めまぐるしく変わる天気の、光と影のせめぎあいには驚かされるが、一日に四季の陰翳があると思えば、味わいがある。
ウイスキーの貯蔵庫。闇の中にオーク樽がひっそりと佇む。樽に抱かれたモルトウイスキーは、その暗がりで熟成の甘い香りを育みながらゴールデン・ブラウンの輝きを得る。谷崎は羊羹(ようかん)の色を瞑想的と表現した。彼の文章を借りるならばウイスキーもまた、"日の光を吸い取って夢見るようなほの明るさを含んでいて"、瞑想的ではなかろうか。
スコッチウイスキーに限らず古典的なタータンのキルト、バグパイプに『蛍の光』をはじめとした民謡といったイギリスをイメージさせるものたちの多くは、実はスコットランド独自の文化だ。ローマの支配がおよんだイングランドとは異なり、アイルランドから渡ってきたケルトや北欧のヴァイキングの影響が色濃い。
こうした文化の背景にはウイスキーへの高額な課税をはじめ、かつてイングランドの圧政に苦しめられた影がある。
物悲しいようでこころ奮い立たせるバグパイプの音色はドレミソラの5音階。沖縄音階と同様で半音がなく、陽の感覚、明るいイメージがある。スコットランドの北部、ハイランド地方。バグパイプの音色はその昔、タータンを纏ったハイランドの兵士たちの魂を奮い立たせ、イングランド兵を震え上がらせた。1745〜46年の王位継承戦争(ジャコバイトの乱)でハイランダーを破ったイングランドは、彼らの勇猛果敢な脅威から、その後キルト着用やバグパイプ演奏を禁じた歴史もある。
ハイランダーの誇りを奪われたのだ。
スコットランドの陰翳を映しとったようなリキュールがある。「ドランブイ」。ラベルにはプリンス・チャールズ・エドワーズ・リキュールと記されている。これにはジャコバイトの乱が密接にからんでいるからだ。
名誉革命で王位を失い国外追放されたジェームズII世の孫がチャールズ王子で、容姿端麗だったことからボニー・プリンス・チャーリーとの愛称で呼ばれた。王位継承を主張するチャーリーはフランス亡命中の父の反対を無視してスコットランドへ渡る。
チャーリーは自分を支持するハイランド各地のクラン(氏族)たちとともに蜂起したが、結局は政府軍に敗れた。長い逃亡の末、なんとかフランスへ戻る。
逃亡を手伝ったのはヘブリディーズ諸島、スカイ島のマッキンノン家。そのマッキンノン家に伝わったのが、チャーリーがよく口にしていたブランデー・ベースのリキュールだった。これが1893年、スカイ島のブロードフォード・ホテルでベースをウイスキーに替えて誕生した「ドランブイ」である。
誕生したとき、皆がゲール語で口々に「An dram(飲む) buidheach(満足な)」(満足いく酒)と評価したことから、単語を合成してDRAMBUIEとなった。
独自のブレンデッドウイスキーにハチミツやシロップ、さまざまなハーブを加えて生まれる味わいは甘くスパイシーで滑らか。エキゾチックな感覚の風味という人もいるが、わたしはヘザーの花咲くハイランドの光と影がせめぎあう荒野を連想する。どこか哀愁を覚える。
世界的に有名なカクテルに「ラスティ・ネール」がある。ウイスキーとドランブイだけのシンプルなレシピで、オン・ザ・ロックでいただく。1950年代にニューヨークの21クラブで誕生したという説があるが定かではない。ウイスキーは柔らかなブレンデッドがいいが、時にシングルモルト、たとえば「ボウモア・ネール」といった変化をバーで試してみるのもいい。
だが、わたしは「ラスティ・ネール」にオレンジ・ビターズを加えてステアし、カクテルグラスで味わう「スコッチ・キルト」を好む。風味がキリッと締まるような気がする。
ウイスキー・ベースの感覚をやわらげて甘みと酸味を愉しみたいという人にはオレンジジュースを加えた「セント・アンドリュース」をすすめる。
ただし「スコッチ・キルト」「セント・アンドリュース」はスコットランドのバーテンダーにはほとんど通じない。これもおそらくアメリカで生まれたカクテルであろう。
もうひとつは、わたしだけの勝手な飲み方かもしれない。「ホット・ラスティ・ネール」とでも呼んでおこう。寒さの厳しい夜、気が向けば、お湯割の温かいスコットランド風味を試していただきたい。
欧米の金ぴかを嫌った谷崎。錆びた釘こと「ラスティ・ネール」は気に入るかもしれない。そしてスコットランドの陰翳を理解したかもしれない。『陰翳礼讃』は、"試しに電燈を消してみることだ"、で終る。そう、「ドランブイ」もほの暗さが似合う。