今回は「ガルフストリーム」というフルーティーで清涼感のある、これからの季節にはぴったりのカクテルをご紹介する。ただしその前に、ちょっとオドロオドロしいカクテルのお話をしよう。
先日、知り合いの若い夫婦がキューバを旅行してきた。写真を見せてくれたのだが、やはり『ラ・ボデギータ・デル・メディス』『ラ・フロリディータ』といったアーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)ゆかりのバーを訪ねている。
ヘミングウェイは1938年頃から1960年まで20年以上キューバに暮らした。彼のカクテルやキューバでの生活に関しては、わたしは1980年代にいろんな媒体でいろいろと書かされたので、いまさらの感がある。
それでも彼らの話に耳を傾けながら、ふと、常軌を逸した恐ろしいまでものカクテル・エピソードを思い出した。『Death in the Afternoon』(午後の死)というヘミングウェイが創作したカクテルである。
一応はクセのある香味の薬草系リキュールをシャンパンで割るレシピに落ち着いているのだが、誕生の発端は、まったく書けないまま原稿〆切りが迫り、あーヤダヤダ、もう楽になっちまおう、とヘミングウェイが無謀にも黒色火薬を口に含んで火をつけて爆死を試みたことによる。
唾液のおかげで火薬が湿り、発火することなく無事だった。しかしながら硫黄や硝酸カリウムの悪臭にのたうちまわり、手近にあったシャンパンを口中に流し込んでなんとか正常に戻ったのである。
そこで終わらないのが凄い。悪趣味にも、臭気とシャンパンのミックスが病みつきになったそうで、紆余曲折の末に薬草系リキュールとシャンパンに落ち着いたのである。これ自体を「ヘミングウェイカクテル」とも言うらしい。
意識朦朧としながらのたうちまわっている最中にインスピレーションを得たという。そこから生まれたのがカクテルと同名の名著『午後の死』(1932年発表)。この作品は単なるエッセイではなく、闘牛に関する偉大な研究書であり、闘牛に興味がない方にはおすすめしない。
すべてにおいて見事なまでの描写に感服させられるし、突然に文学論もあったりする。とはいえ、スペインを愛し、闘牛を愛した男が、死に至る悲劇、激烈な死というものを描きだした作品だ。
かつてわたしは熟読を途中で断念し、斜め読みに徹した。残酷で重苦しい部分がかなりある。黒色火薬とシャンパンのミックスからの閃きは凄まじい。
Deathのワードの入ったヘミングウェイの創作カクテルがもうひとつある。彼はキューバに移り住む前の8年ほどアメリカ・フロリダのキーウエストに暮らした。その時代、1937年に彼が創作したものだ。
カクテル名は『Death in the Gulf Stream』(メキシコ湾流の死)。レシピはビターズ数滴にたっぷりのライムジュース、つぶしたライムの皮、それにオランダのジンであるジュネヴァもたっぷり。ほろ苦さはあるが、酸味が強過ぎてわたしの嗜好には合わない。
死というワードとともに興味深いのはメキシコ湾流(ガルフストリーム)というワードが入っていることだ。これはヘミングウェイの代表作のひとつである『老人と海』(1952)の冒頭にも登場してくる。“彼は老人だった。メキシコ湾流に小舟を浮かべ……”といった書き出しだ。そのちょっと前、1949年発表の2つのエッセイ『キューバの釣り』『大きな青い河』でメキシコ湾流について述べている。大きな青い河とは、ガルフストリームのことである。
ガルフストリームは暖流で、太平洋の黒潮と並ぶ世界最大級の海流。源はアフリカの西側の大西洋。赤道の北を西向きにカリブ海からメキシコ湾に入り込み、そこからフロリダ半島を経て大西洋を北東に流れ上がっていく。
かつて冬のスコットランド、アイラ島に出かけたとき、高緯度にもかかわらず思ったほど寒くなかった。島の人が「海流のおかげ」と教えてくれた。赤道付近から至るこの暖流がヨーロッパ高緯度地域の気候を保っているのだ。
ヘミングウェイは作品の中で、キューバに住む最大の理由は、深くて大きな青い河があるためだ、と述べている。釣を愛した男の言葉だ。愛艇ピラー号でハバナ沖へと出港し、マリーン(マカジキ・クロカジキ類)を追い、戦った。漁場としてだけでなく、好天の日の沖合は青く輝き、とても魅力的なのだろう。死ではなく、そこには生の悦びがある。
「メキシコ湾流の死」というカクテルは、どうもピンとこないのだが、誰もが飲んで、口当たりがよく好感が持てるカクテルが「ガルフストリーム」だ。
いつ頃、誰がつくったかは定かではない。ウオツカベースで、ピーチリキュール、グレープフルーツジュース、パイナップルジュースにブルーキュラソー(オレンジリキュール)が加わり、シェークによって生まれる色調は、まさに青い河を連想させる。
口にするとフルーティーな甘さでトロピカルカクテル的な感覚もあるが、グラスを染めた色と相まって清涼感に満たされる。
ベースは「ピナクルウオツカ」がベスト。フルーツの味わいをよりみずみずしく、ふくらみのあるものにしてくれる。そう、生の悦びを感じさせる。