アーネスト・ヘミングウェイの『海流の中の島々』(新潮文庫)は、若い頃のわたしにとってはカクテルブックのようなものだった。ホワイトラムベースのメジャーなカクテルのひとつ「ダイキリ」のアレンジ、「フローズン・ダイキリ」はこの作品を読んでから飲むようになった。
作中、ハバナにあるバー、フロリディータのバーテンダー、コンスタンテがつくる「フローズン・ダイキリ」を“粉雪蹴散らしながら氷河をスキーで滑走する心地”と表現している。この一文がアタマに刻まれ、フローズンでなくても「ダイキリ」を飲めばスキーの気分に浸るようになる。
ところがある時「ネバダ」というカクテルに出会い、「ダイキリ」よりも好きになってしまう。ホワイトラムにライムジュース、少量の砂糖をシェークするのが「ダイキリ」のレシピ。「ネバダ」はそのレシピにグレープフルーツジュースと微量のアンゴスチュラビターズ(ラムにリンドウの根の苦味成分などを配合)が加わる。
最初に「ネバダ」を口にした印象は、涼やかな朗らかさである。ラムの香りにフルーティーな甘酸っぱい味わいが重なり、華やぎがある。粉雪蹴散らす感覚とは違う、なんだか春が待ち遠しくなるような味わいだった。
そこで思い浮かんだ。ヘミングウェイに倣うならば、これは春スキーではなかろうかと。ハードシェークされてグラスに満たされると液面に細氷が浮かび、口に含めば春雪をスキーで滑走する心地よさがある。
真冬のパウダースノーを満喫した後の3月の雪はスキーヤーにとっては手強い。でも温もりのある日の光に眩く光るザラメ雪を滑走しながら、麓の村や町にもうすぐ本格的な春が訪れることを知ることができる。
それからというもの「ネバダ」を飲みながら、こうした冬の名残と春の新たな芽吹きへの期待が交錯する感覚を覚えるようになった。
文豪に倣ってイメージを膨らませたのはいいが、実は長く勘違いもしている。30代半ばまで、「ネバダ」をスペイン南部のアンダルシア州グラナダ県に位置するシェラネバダ山脈のスキーリゾート地をイメージしながら飲んでいた。スペイン語のシェラネバダとは“雪に覆われた山脈”であり、勝手にヨーロッパで最も南に位置するスキーリゾートから生まれたカクテルに違いないと思い込んでしまっていた。
かつてスペインが領有権を主張し、メキシコの支配下だったこともあるアメリカ西部のネバダ州にもスキーのできる同名のシェラネバダ山脈はあるのだが、ホワイトラムはカリブ海に浮かぶ元スペイン領の国々の名産であるし、とにかくカクテル「ネバダ」はスペイン、そしてアンダルシアの春スキーでなくてはならないと決めつけていたのだ。
ある夜、バーテンダーから、ラスベガスのあるネバダ州、それもシェラネバダ山脈にあるスキーリゾート地ではなく、砂漠のある乾燥地帯で、渇きをいやすカクテルとして考案されたものだと聞かされた。な、な、なんとアメリカか、砂漠か、と愕然とした。
他人にしてみれば、きっとどうでもいいことだろう。わたしにとって雪ではなく、砂という事実は、ショックなんてものではなかった。