18世紀頃までのヨーロッパでは、宮廷人はもちろん政治家や知識階級はフランス語を話せた。というよりもフランス語が公用語、国際語だった。
産業革命によるイギリスの台頭で19世紀になると産業、科学分野で英語が頭角を表す。そしてイギリスが7つの海の覇権を握り、20世紀初頭の第一次世界大戦後はアメリカの国際社会での地位が高まり、外交用語はすっかり英語に取って代わったという。
ただし、料理の世界は違う。美食といえばフランスであり、イギリスやアメリカは蚊帳の外。料理用語はフランス料理界がいまだに幅を利かせている。
旅をしていて、パリ市街から30分、1時間と離れるほどに実感することがある。見事な田園風景が広がり、凄い農業国だな、と毎度見惚れる。しかも地中海、大西洋、北海と海もある。山海の食材は豊富なんてものではない。美食の国になるはずだ、と納得する。
フランスで出会ったデザートで、とても気に入ったものがある。日本でも知られているらしいのだが、タルト・タタンというアップルパイの親戚というか、失敗作みたいなものだ。リンゴの甘酸っぱさが口中に広がり、とてもおいしい。
聞くところによると1898年、パリから100kmちょっと離れたロワール・エ・シュール県にあるホテル・タタンで創作された。経営者はステファニーとカロリーン・タタンという姉妹。ステファニーがアップルパイをつくりはじめながら忙しくてその場を離れたために、バターと砂糖で炒めていたリンゴをちょっと焦がしてしまったことが幸いしたらしい。
なんとかできないものかと彼女はフライパンの焦がしたリンゴの上にタルトの生地を載せて、そのままオーブンで焼いてみたという。とにかく取り繕うとしたと思うのだが、焼き上がって、フライパンをひっくり返すと、おや、まぁ、びっくり、美味しいタルトができあがっていた。
客に出してみたら人気となり、評判はパリに聞こえ、やがてフランス全土に広がっていったという。
仲良しのバーテンダーとそんなタルト・タタンの話をしていたら、気遣いか、遊び心が湧いたのか、彼が面白いカクテルをつくってくれた。
「使うリキュールは日本語でいえば青リンゴですが、タルト・タタンに合うかもしれません。簡単に言えば、アップル・スプモーニです」
カシス・リキュール「ルジェ カシス」で知られるフランスを代表するリキュールメーカー、ルジェ・ラグート社のシリーズの「ルジェ グリーンアップル」(仏語/Pomme Verte/ポム ヴェール)にグレープフルーツジュース、トニックウオーターという組み合わせのものだった。
とにかくすっきりとした清々しい味わい。陽気のいい休日、昼寝に誘うにはもってこいのお手軽カクテルだし、食前酒としてもいけるオールデイ・タイプ。何よりもタルト・タタンが恋しくなり、わたしは「駄目だよ。好物のタルトが目の前にないのに、どうすればいいんだ」とスネてしまった。
ならばともう一品、今度はフランスにイギリスとイタリアをミックスしてきた。ビーフィータージンに「ルジェ ストロベリー」(仏語/Fraise/フレーズ)、そしてわたしの好きな「ディサローノ・アマレット」。これは食後酒にぴったりの味わい。
少量ながらアマレットが効いていて、イギリスのジン君の主張を抑える役割を担っている。最初はドライな感じだが、フランスのストロベリーちゃんにイタリアのアマレットさんのクリーミーさが調和し、甘さが心地よくふくらんだ、オトナのイチゴ味だ。デザートカクテルとしてふさわしい。
二杯も佳品を味わうと、こちらも欲が出る。ルジェのシリーズでシェークもの、とオーダーしてしまう。しばらく思案して生まれた一杯に、わたしは唸り、頭を垂れた。参りました。
なんと今度は日仏伊で、しかもウイスキーをベースにしたものだった。これもなかなかの傑作だ。
「サントリーローヤル」に桃のリキュール「ルジェ ペシェ」(仏語/Péche)、レモンジュース、そして「ルジェ クランベリー」をシェークしたものだ。
「ローヤル」を使うところが憎い。甘く華やかでなめらかなウイスキーだからピーチ味とからんでも嫌味がない。ウイスキーとピーチが甘みを奏でながら、少量のレモンが爽やかさを生んでいる。少量のクランベリーがいいアクセントになっていて、全体としてとても優しい味わいとなっている。
このカクテル3品にわたしなりのネーミングをした。リキュールの「ルジェ」のラインナップはどうしても女性をイメージしてしまう。だからすべてフランスの女優名にしてみた。
グリーンアップルのカクテルは、バレエで鍛えたしなやかな肢体で魅了し、ブランド品や装飾で身を纏うことを嫌ったベベ(BB)こと「ブリジット・バルド」。ストロベリーのカクテルは、元々はロンドン出身の「ジェーン・バーキン」。ペシェのカクテルは映画『男と女』の「アヌーク・エーメ」。まったくのこじつけだが、美しい女優の名で呼ぶと、味わいはより高まる。
正直に言えば、フランス語がまったくわからないので女優名にしたといえるが、気品ある味わいとの出会いは、素敵な女性との出会いにも似て、胸が躍る。