トム・クルーズ主演の映画『カクテル』(1988年制作)を観たことがない。ところがストーリーはよく知っていて、誰かがこの映画の話題をすると観たふうを装って相手ができる。
何故か。公開まもなくに酒場で仕事仲間と飲んでいて、わたしが「酒の仕事をしているんだから観なくちゃ」と言うと、すでに観た何人かに「その必要はない」と一蹴されてしまった。理由は、やたら人を裏切り、傷つけておいて、真の愛に目覚めるという都合のいい青春活劇、というもの。さらには大きなお世話で、ストーリーをその場ですべて語られてしまった。
映画の主題歌『Kokomo』はザ・ビーチ・ボーイズだし、ボトルをトスしたりスピンさせたりといった曲芸的なフレアバーテンディングがあったりするので観る気になっていたのに、あまりにも不評でがっかりした。
その年の最低作品であるゴールデンラズベリー賞の作品賞、脚本賞を獲得。トム・クルーズ自身も、自分の出演作品のワースト・ランキングの上位に入れているそうだから、まあ観なくてよかったのかもしれない。
ただこの映画を単純に批判できない。フレアのパフォーマンスを世界に知らしめ、若い人たちにバーテンダーへの憧れを抱かせ、『Kokomo』が全米、全豪ヒットチャートで1位となった実績を忘れてはいけない。
酒類業界、音楽業界には意外に影響力のあった、偉大な映画なのだ。
先日、こんな話を行きつけのバーでしていたら、『Kokomo』はCではじまるスペルと違うからココナッツとは関係ないよね、といった展開になり、ジャマイカの有名なリゾート地の名である、とすすんでいった。
ここから会話はさらに広がる。ココナッツといえばリキュール「マリブ」がある。カリブのバルバドス産ラムとココナッツジュースでつくられているという話から、「マリブ」も地名で、アメリカのウエストコースト、サンタモニカの西に位置するサーフィンで知られたビーチがあるところ、と発展する。
そこで「ココナッツリキュールってのは、わたしのようなオッサンには似合わない」と言うと、バーテンダーが「そんなことないですよ。ちょっと大人のカクテルを考えてみましょうか」と返してきた。
傑作が生まれた。即興でよくぞここまでまとまった、レベルの高い大人のカクテルが生まれたものだと思う。スタンダードカクテルとしてすでに存在していたかのような安定感に満ちている。
なんと滑らかでふくらみのある甘さで人気の高いバーボンウイスキー「メーカーズマーク」を合わせたのだった。「メーカーズマーク」と「マリブ」の1対1にコーヒーリキュール「カルーア」を1ティースプーンというもの。
ウイスキーにココナッツの風味が柔らかく溶け込んでいる。「カルーア」がいいアクセントになっていて、滑らかなコーヒーチョコを連想させる。全体にシルクのようなしなやかさがある。
夏の日が沈んだビーチサイドのバーでこのカクテルを飲んだならば、遠い日の恋の記憶がよみがえってくるだろう。
わたしは「ひきしお/Ebb Tide(エブ・タイド)」と名付けた。若さに満ちた人たちよりも、最低でも40歳を超えた人たちにすすめたいからだ。
歳月を重ねたものだけが味わうことのできる切なさ。笑いも涙も噛み締める、分別がありすぎるがゆえの悲しいまでのいじらしさ。味わいにはそんな感覚が潜んでいる。
大人の男女がふたりで飲むといいだろう。暮れたビーチ。白砂にじゃれるさざ波。そこに行き場を失った椰子の実がひとつ。こんな光景を目にしながら「Ebb Tide」を口にする。互いに自分の過去を反芻しながら、いまこのときの恋に身をゆだねる、といった情感がふさわしい。
でも、ひとりきりで記憶の波にくすぐられながら飲むのも、また格別なような気もする。誰だって、ノスタルジーに浸りたい夜もあるだろう。
手軽に「マリブ」を味わうのならばコーラやオレンジジュースで割るといい。若者は気に入るはずだ。そこで、わたしはもうひとつ踏み込んで、幅広い層の人たちが愉しめるカクテルの創作をお願いしてみた。
すると「マリブ」、グアバのリキュール「グアバーナ」、パイナップルジュースを使ったカクテルが誕生した。この三つがミックスされるとピーチオレンジのような味わいになるから面白い。余韻に「マリブ」のココナッツのふくよかな甘さが浮遊する。強烈な夏の光の渦を浴びるビーチで、髪をなびかせながら白い歯を見せて微笑む素敵な女性のイメージだ。
カクテル名は「Ebb Tide」つながりから、映画『ひきしお』(1971年制作)でカトリーヌ・ドヌーブが演じた役名「Liza」と命名した。
マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーブの『ひきしお』はエーゲ海の孤島が舞台。多少、不条理の匂いがするが、「Liza」はあくまで映画での彼女の煌めくような強い印象から名付けたもので、ストーリーは意識にない。ただしエーゲ海の眩い光の中で飲んでみたくもある。
映画『カクテル』から話は意外な方向へ進み、バーのオリジナルカクテルまで生まれた。カウンターでの会話は飽くことがない。