サイモン&ガーファンクルの歌声で知られる『スカボローフェア』はとても不思議な詩だ。"パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム"と何度も繰り返し登場する。「ウイスキー・マック」というカクテルを飲むと、このリフレーンがふっと浮かび上がり、なんだか懐かしいようなひなびた風景を想い描いてしまう。
イギリスの甘味果実酒に「ストーンズ ジンジャー ワイン」がある。古くからある酒で、1740年にロンドンで誕生した。白ワインにレーズンやグリーン・ジンジャー(ショウガ)の粉末などを材料にしてつくられる。寒さの厳しい日、紅茶にジンジャーワインとはちみつを入れると、とても暖まる。
そして19世紀にインド駐在のイギリス陸軍、マクドナルド大佐が考案したとされる「ウイスキー・マック」はスコッチウイスキーとこのジンジャーワインをミックスしたものだ。イギリスのカクテルブックには紹介されていない場合が多い。これは掲載するにはあまりにもポピュラー過ぎるからである。
近年、ショウガの効用が注目を浴びている。このカクテルに関しては"大人の風邪薬"と表現する人もいて、柔らかいブレンデッドウイスキーと合わせれば優しい甘みの風味となり、アイラモルトのようなスモーキーさの強いものと合わせると刺激的でミステリアスなクセになる風味となるから面白い。
ショウガはハーブではないけれど、素朴ともいえる「ストーンズ ジンジャー ワイン」を使ったカクテルの独特のハーブ的風味がわたしのこころに『スカボローフェア』を呼び起こす。
ガーデニングで知られるイギリスは、植物にまつわる民話がたくさんある。ハーブガーデンも多く、薬草学も発達していて、ハーブの知識はイギリスから世界に広がったともいわれている。
ハーブは紀元前から人々の暮らしとともにあった。古代ローマではラベンダー、ローズマリー、パセリ、セージ、タイム、フェンネルなど、いまでもよく名が知られたハーブが栽培されていた。
これらがイギリス、ブリテン島にもたらされたのは古代ローマ軍が侵入してきた紀元前55年以降と考えられている。やがて癒しや鎮静効果、防虫効果として、さらには魔除けとして珍重されるようになり、栽培が盛んになっていったようだ。
古いバラッドにハーブを象徴的に織り込んだのが『スカボローフェア』。
イングランドの北、スコットランドに近いノースヨークシャー州、北海を望む行楽地スカボローは13世紀中頃に海外との貿易権を得て、8月15日からは45日間にもおよぶ巨大な市が開催されていた。18世紀まで500年に渡りヨーロッパ中から貿易商が集まる重要な交易の場で、また大道芸人たちの格好の舞台でもあり、盛大な賑わいを見せたようだ。
曲のタイトルはこの市のことだが、原曲はスコットランドの古いバラッド『エルフィンナイト』(妖精の騎士/ハーブのリフレーンはない)のようで、口伝されたものが1670年代に一度つくり替えられ、それを吟遊詩人たちが街から街へ歌い伝えていくうちに詩やメロディは少しずつ変化していく。
19世紀末に確立された編曲をブラッシュアップしたのがイギリスのフォーク・リバイバルの重要なミュージシャンのひとり、マーティン・カーシー(1965年ファーストアルバムに収録)だった。
伝承の歌詞は"針も糸も使わず縫い目のないシャツをつくりなさい、乾いた井戸で洗いなさい、革を鎌にして刈り取りをしなさい"といった無理難題を投げかける謎かけで、男女の問いかけでもある。唐突ともいえるパセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイムのリフレーンは難題を解く呪文のように響く。ハーブが邪悪なものへの魔除けの象徴として歌われているようだ。
ボブ・ディランはロンドンに行った際にカーシーに何度も『スカボローフェア』を歌ってもらい、帰国後『北国の少女』(1963年)をつくる。ディランのこの曲はカーシーのメロディとは異なるが、詩のスピリチュアルな部分を踏襲している。
2年後にカーシーに会ったのがポール・サイモンだった。そして1966年、サイモン&ガーファンクルの3rdアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』に『スカボローフェア』は収められ、翌年の映画『卒業』の挿入歌となり大ヒットする。サイモンはカーシーのメロディラインを洗練させ、詠唱のアレンジを加えた。"銀の涙で墓を洗う。兵士は銃をきれいに磨く"といった反戦をイメージさせる詩を絡めたことで、悪化するベトナム戦争と結びつき、人々のこころを捉えた。
何百年と伝承されてきたバラッドが20世紀に時代と共鳴し、21世紀の今日も人の胸に響く。不思議な曲である。
また冬が来た。「ウイスキー・マック」のひなびた舌触りに出会うと、古典的な手触りを感じさせるこの曲を聴きたくなる。イギリスの酒と民謡は人のこころを懐かしい温もりで満たす。