- 実験編「豆知識」
海を渡ったぶどうたち( その② )
2024年10月
(写真)チリのカルメネール(左)とアルゼンチンのマルベック(右)。
前回のシラーとトリビドラグに続いて、今回は南米に渡った品種2つという事で、カルメネールとコット(マルベック)です。この2品種は共にフランス南西部の出身(カルメネールはボルドー地方、コット(マルベック)は南西地方のカオールとされています)ですが、現在は元々のエリアの栽培面積よりも、移住先の南米での栽培面積の方が遥かに大きくなっています。カルメネールにおけるチリの栽培面積世界シェアは約50%、そしてコット(マルベック)に至ってはなんと77%がアルゼンチンで栽培されているのです。
両国におけるカルメネールとマルベックの重要性は、カルメネールのチリ内での栽培面積シェア10.7%(5位)に対して、マルベックのアルゼンチン内でのシェア21.2%(1位)と少し開きがありますが、共にその国を代表するシグネチャー品種であるという点では変わりません。
今回はそこまで到達した歴史を見て行きたいと思います。
カルメネール (Carménère)
上)チリのカルメネールの畑カルメネールの故郷はフランスのボルドー地方だと考えられています。DNA鑑定の結果、カルメネールの両親はカベルネ・フランとグロ・カベルネ(オンダリビ・ベルツァとフェルの交配品種、オンダリビ・ベルツァはカベルネ・フランの親か子のどちらかとされているので、どちらにせよカベルネ・ファミリーの一員、現在はほぼ栽培されていない)と判明しており、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロと並んで、カベルネ・フランの血を受け継ぐカベルネ・ファミリーの中心となる品種の一つです。品種の語源は深紅(カルミン、カーマイン)からで、そのワインの色調の濃さを示しています。
18世紀の初頭にはボルドーの中心となるぶどう品種はカルメネールでした。しかし、現在ボルドーでカルメネールは殆ど栽培されていません(少し古いですが2010年データではわずか21haです)。その理由としては2つ挙げられます。一つは収量の少なさ。そしてもう一つはボルドー品種の中で最も晩熟であるという事です。秋に雨が降るボルドーでは完熟しきらない(=ピラジンと呼ばれる青臭いピーマンの様な香りが残る)リスクと、雨による病気で収量がさらに減るリスクの2重のリスクがあります。結果として、19世紀末にフィロキセラによってボルドーのぶどう畑が壊滅した後に、カルメネールが植え直される事は殆どなく現在に至っています。
それに代わって、現在世界のカルメネールの中心となっているのがチリ。世界中のカルメネールの約半分がチリに植えられており、チリとしても国の個性を表現するシグネチャー品種として期待されています。そんなチリにカルメネールがもたらされたのが1852年とされています。フランスにフィロキセラが侵入したのが1863年ですので、プレ・フィロキセラの木が輸入されたわけです。チリの主な産地は地中海性気候ですので秋に雨は降らず、晩熟のカルメネールでも完璧に熟すことが可能です。ピッタリの気候に恵まれた事で、カルメネールはチリの地に定着していきました。
しかし、チリでカルメネール単体のワインが初めて生産されたのは1994年と、初めてチリにカルメネールが植え付けられてから約140年もの時が過ぎていました。どうしてこうなったのでしょうか?実は、チリではこの間ずっとカルメネールはメルロとして扱われて来ました。ボルドー品種の中で特に早熟なメルロと最も晩熟のカルメネールを間違える筈がないだろうと思っていたのですが、「メルロの中に、えらく熟すのが遅いクローンがある」と言う認識だったようです。先にも述べたとおり、この2品種は片親違いの兄弟で葉の形状なども似ていますのでそう聞くとわからないでもないです。そして、運命の1994年フランスのクロード・ヴァラとその弟子ミシェル・プルクシオによってカルメネールと言う事が判明したのです。と言う事で、チリにおいてカルメネールが認知されて今年は30周年の記念の年となります。チリのカルメネールの品質向上はそこから始まったので、まだまだこれから良くなっていうだろうという期待感があります。チリのカルメネールの素晴らしい産地として、DOペウモやDOアパルタが挙げられます。もし見かけたら飲んでみて下さい。あるチリのワインメーカーは、「完熟したカルメネールはカベルネ・ソーヴィニヨンの骨格と品の良さ、メルロの豊かな果実の広がり、シラーの複雑なスパイシーさを併せ持つ、素晴らしいワインを生む」と言いました。個人的には、濃密だけど滑らかな黒果実感と、挽きたてのコーヒー豆のような魅力的な香りが最上のチリのカルメネールの良さだと思います。
その他の国でも、カリフォルニアやアルゼンチンなどボルドー系の品種を栽培しているところでは細々とカルメネールも栽培されています。また、イタリアのロンバルディア州やヴェネト州にはカベルネ・フランと間違えてカルメネールが導入されており、少しですがこの品種が存在しています。意外なところで言うと、中国ではわりと広い範囲でカルメネールが植えられています。中国の統計はあまり出て来ないので確かなデータが無いのですが、圧倒的に栽培されているのがカベルネ・ソーヴィニヨンで、でもその次に広く栽培されているのがカルメネールと言われています(恐らくチリに次いで世界2位の栽培面積)。中国ではカルメネールはカベルネ・ガーニッシュ(Cabernet Gernischt)と言う名前で呼ばれているので見逃しがち(そもそも日本であまり流通していませんし)ですが、近年、凝縮感と品格を兼ね備えた素晴らしいワインたちが次々と登場しているカルメネールにとっては見逃せない産地です。中国のワイン生産が急激に落ち込んでいるというデータも最近見ましたが、これからどうなっていくのでしょうか。
コット、コー、マルベック[Cot, Côt, Malbec]
写真上)遠景に冠雪のアンデスを仰ぐ、メンドーサのマルベックの畑今回のテーマのトリはコット。世界的にはマルベックと言う名前で通っていますが、原産地であるフランス南西地方のカオール一帯での呼び名はコット(もしくはコー)です。カオールはボルドーからジロンド川沿いに遡っていき、そこから支流のタルン川に入ったところにある産地です。つまり川でボルドーとつながっているわけで、このルートで18世紀にボルドーに持ち込まれたと言われています。元々カオールのワインは中世に「黒ワイン」と呼ばれて高い名声を誇っていたのですが、その黒ワインと呼ばれるほどの濃い色調の元となっていたのが、コットです。カオールでは現在でも70%以上コットをブレンドする事がワイン法で決められています。フランスのコットの栽培面積は2016年時点で約6,000ha、そのうちの約7割がカオールとその周辺で栽培されています。ボルドーでのマルベック(ボルドーではコットではなくマルベックと呼ばれます)の栽培面積は約1,000ha。19世紀末には5,000haの栽培面積があった事を考えると激減しており(19世紀半ばにはマルベックはボルドーの栽培面積の半数以上を占める最大勢力でした)、現在ではあまり大きな役割を果たしていません。DNA鑑定の結果、マルベックの両親はマドレーヌ・ノワール・デ・シャラントとプリュヌラールと判明しています。この片親のマドレーヌ・ノワール・デ・シャラントはメルロの片親であり、つまりメルロとマルベックは片親違いの兄弟という事になります。ここでのポイントはカベルネ系の血が流れていないというところで、同じボルドー系と言いながらもカベルネ・ファミリーに見られる針葉樹やミント、時には獅子唐やピーマンのようなピラジンの青い香りが無いのがマルベックの特徴です。フランスでは他にはロワール川の中流域のトゥーレーヌ地方で細々とコット(このエリアではこの名前)のワインが生産され、よりチャーミングなスタイルのワインを生んでいます。
とは言え、今や世界の中でマルベックと言えばアルゼンチンのぶどう。世界の8割のマルベックがこの国から生まれています。4月17日は「国際マルベック・デー」とされていますが、この4月17日と言う日も、1853年にアルゼンチンに初めてマルベックが植えられたとされる日なのです。マルベックにおけるアルゼンチンの存在感の大きさがわかるエピソードですね!アルゼンチンは低緯度かつ大陸性の気候と、アンデス山麓という高い標高が組み合わされた他にはないテロワールの産地です。この国のマルベックも、その特性を強く帯びた味わいになります。具体的には、日照量の強さから完熟する果実と、日焼けを防ぐために分厚くなる果皮、標高の高さから来る昼夜の寒暖差の大きさで、これが濃い色調、強い果実味そしてメリハリのある酸味と言う、ガツンと果実味がぶつかって来るようなハッキリとした味わいをうみます。タンニンはあるのですが、完熟しているのでとても滑らか。このワインを樽熟成して、甘いスパイスやチョコレートを連想させるフレーバーを加えたスタイルがアメリカ市場で大ブレイクして、アルゼンチンのマルベックは増加の一途を辿って来ました。近年はより標高が高く(1,500mとかの畑もあります!)、冷涼なエリアに畑が広がり、土壌の調査なども進み、より土地の味わいを表現したキメ細かいスタイルのマルベックが急増中です。このスタイルは赤いベリーやプラム、チェリーのジューシーな果実味と、キメ細かいテクスチュアのエレガント系。産地によって幅の広い味わい表現が出来るのも、アルゼンチンのマルベックの魅力の一つではないでしょうか。
他にはカリフォルニア、チリ、オーストラリアなどでもマルベックは栽培されていますが、その量は限られており、一つの産地としてスタイルを表現するには至っていません。