- 実験編「豆知識」
海を渡ったぶどうたち( その① )
2024年08月
(写真)フランス・ローヌ地方のシラー(左)とオーストラリア・バロッサ・ヴァレーのシラーズ(右)。
丁度パリオリンピックが終了したところですが、オリンピックを見ていると一つの国の代表選手たちが実に多彩な民族で構成されているなあと感じます。多くは移民の方々なのだと思いますが、何等かの理由で元々居た国に居られなくなり(もしくはさらなる活躍の場所を求めて)、新天地を求めて旅立った移民たち無しに、世界は今の様にはきっとなっていなかったですね。
ぶどうにも元々の産地では苦労が多かったけど新しい環境で花開いた品種や、元々の産地でもうまくいってるけど、新しい環境でまた別の個性や魅力を見つけてそこでも成功した品種がいくつもあります。今回はそれらの中から、特に有名なシラー(シラーズ)、トリビドラグ(プリミティーヴォ、ジンファンデル)、カルメネール、コット(マルベック)の4つを取り上げたいと思います。今回は前半という事でシラーとトリビドラグです。
①シラー、シラーズ (Syrah, Shiraz)
写真上)シラー(シラーズ)の気候による風味の違いの例シラーの故郷はフランスのローヌ渓谷だと考えられています。色々な伝説の中では、このぶどうの祖先はシリア[Syria]出身でそこから変化してシラーと呼ばれるようになったとか、古代ペルシャ(現在のイラン)の出身で、名前はその当時のワイン生産の中心であったシラーズ[Shiraz]の町から来ているとか、シチリアにある古都シラクサ[Syracuse]から来ていると言った話もありましたが、近代になって数あるぶどうの出身地を確定してきたDNA鑑定によって、シラーの故郷も特定される事になりました。この鑑定の結果、シラーの両親はサヴォワ地方のモンドゥーズ・ブランシュ[Mondeuse Blanche]とローヌ地方の(今は殆ど栽培されていない)デュレーザ[Dureza]と特定され、現在ではローヌ出身ではある事はまず間違いないとされています。
そんなシラーの2016年の栽培面積を見るとトップは原産国のフランスで約60,000ha。この国ではシラー単一でワインがつくられる北ローヌ以外でも、グルナッシュやムールヴェードルとのブレンド素材として広く南仏一帯で栽培されています。2位がオーストラリアで約40,000ha。シラー全体の世界での栽培面積が約180,000haなので、世界の半分以上がこの2ケ国で生産されている事がわかります。
原産地であるローヌ地方ではシラーの特徴は黒胡椒の香りだと良く言われます(それ以外にもスミレの花や、なめし革、ベーコンなどの香りも特徴的ですが)。この成分はロタンドンと呼ばれ、シラーに独特のスパイシーさをもたらして来ました。近年の研究で、ロタンドンは「冷涼で湿った環境で栽培する場合に、より多くぶどうに蓄積される」と言う事がわかっており、北ローヌは少し前まではシラー栽培の北限に位置していたので、このロタンドンが多く含まれ「シラー=黒胡椒の香り」と言うイメージ形成に大きく貢献していたと思われます。
一方、オーストラリアではシラーは伝統的にシラーズと呼ばれ、ヨーロッパやアメリカから遠く離れた地理的距離感と、ヨーロッパよりも遥かに低い緯度帯でのワイン生産の組み合わせにより、独自の発展を遂げて行きました。緯度が低いという事は日照が強いという事で、そこではぶどうはより熟度が高く、果皮が厚くなり、フルボディでアルコールが高く、そして低い気温の方が保持されるロタンドンは少なくなり黒胡椒の風味は穏やかになります。つまり、同じDNAを持つ品種でありながら、ローヌのシラーとオーストラリアのシラーズでは同じ品種とは思えないほど、全く異なる風味を主とするワインを生むようになったのです。
良い点は栽培面積が示している通り、どちらのスタイルにもしっかりとファンがおり、シラーとシラーズはスタイルの違いであって、優劣ではないという事が当然となっている事です。近年ではオーストラリアでもより涼しい産地でシラーズのワインを生産するワイナリーが増加しており、しっかりと胡椒が香るワインが生まれて来ています。そんな生産者はオーストラリアにあってもラベルにシラーズではなくシラーと表記する事が増えています。同様に、オーストラリア以外でシラーをつくる生産者たちもローヌの黒胡椒香るスタイルなら「シラー」、オーストラリア的な果実が前面に出た力強くリッチなスタイルなら「シラーズ」と表記する事が増えているように思います。上に掲示した味わい図だと、右に寄るほどにシラーズのスタイル、左に寄るほどにシラーのスタイルになります。
皆様も是非「シラー」と「シラーズ」のスタイルの違いを比較して飲み、今後の購入の参考にして頂ければと思います。
トリビドラグ、プリミティーヴォ、ジンファンデル[Tribidrag, Primitivo, Zinfandel]
写真上)イタリア・プーリア州のプリミティーヴォの畑プリミティーヴォやジンファンデルと言う品種名は聞いた事があっても、一つ目のトリビドラグと言う名前をご存知の方は殆どいらっしゃらないのではないでしょうか。トリビドラグと言うのは、この品種のクロアチアでの呼び名で、実はこの品種の生まれ故郷はクロアチアなのです。しかし、現在の栽培面積を見ると、アメリカ合衆国がトップで約18,000ha、2位がイタリアで約14,000ha。世界の栽培面積の合計が約33,000haですから、この2ケ国で世界のほぼ全てが栽培されており、原産地であるクロアチアではほぼ見かけくなってしまっていると言うのがこのぶどうです。生まれ故郷ではなく、海外に自分の居場所を見つけたというタイプですね。クロアチアではどうなっているかと言うと、トリビドラグの子供であるプラヴァッツ・マリと言う品種が最も広く栽培されている黒ぶどうになっています。
さて次はプリミティーヴォです。これはイタリアでのこのぶどう品種の呼び名で、その殆どが長靴の形をしたイタリア半島のアキレス腱にあたるプーリア州で栽培されています。ここは世界地図を見てもらうとすぐわかるのですが、トリビドラグの原産地とされるクロアチア南部のダルマチア地方とアドリア海を挟んだ対岸部。昔の船でも1日あれば辿り着ける近さであり、歴史的に交流があった事は間違いなく、ここにこのぶどうが植えられている事は特に不思議はありません。名前の由来はプリミ(最初の)と言う名前の通り、最初に熟す品種という事だそうです。プリミティーヴォは同じ房の中で熟度がバラつくという特性はあるものの、熟して甘くなりやすい(=アルコールが上がりやすい)品種であり、その名前である事も納得です。
さて、ジンファンデルです。これはアメリカでのこのぶどう品種の呼び名なのですが、どうしてイタリアと全く異なる名前なのでしょうか?僕はずっとこのぶどうはイタリアからアメリカに渡った移民が、大事に穂木を持って船に乗ってアメリカに持ち込んだと思っていたのですが、今回調べてみたらそんな事は無く、19世紀の前半にウィーンのシェーンブルン宮殿にあったワイン用ぶどうの見本園から、名も無い木として持ち込まれたとの事でした。そしてジンファンデルという名前になった由来はまだわかっていないとの事です。そんな由来でアメリカに到着したジンファンデルがプリミティーヴォと同じ品種だとわかったのはわりと最近で、1967年にプーリアに来たアメリカの植物病理学者が、プリミティーヴォのワインを飲んでジンファンデルにそっくりだと感じ、畑で樹を見てその穂木をアメリカに送った事が発端となりました。その穂木をカリフォルニアで育てた結果、同じ品種ではないかという事になり、当時のDNA鑑定(現在とは異なる手法)の結果同品種と認定されました(正式に確定したのは1994年のUCデイビス校のキャロル・メレディス博士によるDNA鑑定の結果)。シラーのパターンとは異なり、プリミティーヴォとジンファンデルは同じスタイルでつくられていて、味わいが似ていた事が品種同定のきっかけになったという事ですね。
おまけの話ですが、プリミティーヴォとジンファンデルが同じ品種だという鑑定結果が出た後、イタリアのプーリア州の生産者が、それまで自分たちがつくってきたプリミティーヴォのワインのラベルの品種名をジンファンデルに書き換えて、大量にアメリカに輸出し始めました。味わいのタイプも似ているし、リーズナブルなので良く売れたようです。皆さん商魂たくましいですね。