クラフトジンが注目され、「ジャパニーズクラフトジン[ROKU]」の海外での評価も高い。世界的なプレミアムブランドへの道を着々と歩んでいる。
現在のクラフトジン・ブームの先駆けとなったのがロンドンジンの伝統的な製法を探求してつくりあげられた「シップスミス」である。
製造は2009年(蒸溜所免許取得2008年)にはじまる。これは200年近い時を経て、ロンドンでのジン製造の歴史的な復活でもあった。
1820年以降、ロンドンでは新たなジン蒸溜所建設はおこなわれていなかったそうだ。急激な人口増加と土地問題、酒税改正やアルコール規制などさまざまな要因が重なり、新蒸溜所着工はもちろん蒸溜所維持、設備増強などが難しくなったのである。
ジンの世界的なビッグブランドにおいて現在ロンドン市内で製造しているのがビーフィーター社のみというのは、こうした背景がある。
このクラフト蒸溜所の新設だけでも十分に世界の注目を集める大ニュースでもあった。そしてわたしにとっても小話が生まれた印象深いジンである。
5、6年前、「シップスミス」が話題にのぼりはじめた頃。あるバーでバーテンダーがわたしに「シップスミスの蒸溜所、以前はマイケル・ジャクソンのオフィスだったそうですね。物件を探していて、偶然だったようですが」と言った。「えっ、そうなの。面白いね。大袈裟だけど、彼のスピリッツが宿ったジン、なんて言い方もできる」とわたしは応えた。
するとカウンター席隣でやり取りを聞いていた30歳前後の男性が「すみません、ちょっといいですか」と声をかけ、「あの、それはマイケルが亡くなった頃の話ですよね。マイケル、ロンドンにオフィスを置いていたんですか。その場所、どこかわかりますか」と真顔で聞いてきた。
わたしは質問の意図がわからなかったのだが、バーテンダーがすぐに「いや、そっちのマイケルじゃなくて、酒の著名な評論家に同姓同名のマイケル・ジャクソンという人がいたんですよ」と説明してくれたので飲み込めた。
評論家マイケル(2007年逝去)はウイスキーで名高いが、最初はビール評論家として“ホップの帝王”になった。ベルギービールを世界に紹介した偉大な功績がある。ところが男性は“ポップの帝王”と勘違いしたのだった。
2009年にシップスミス蒸溜所が蒸溜を開始し、そして“ポップの帝王”が亡くなった年でもあることをわたしがしっかりと記憶できているのは、その男性のおかげである。
男性は勘違いに苦笑しながら「おいしいジンなんですか」と聞いた。バーテンダーは「わたしは真似できませんが、飲んだらムーンウォークしているような心地になるかもしれません」と見事に切り返した。