Liqueur & Cocktail

カクテルレシピ

ララ

イエーガー
マイスター
5/6
サウザシルバー 1/6
シェーク/カクテルグラス

陰翳をともなう味わいが誘う戦渦のラブソング

一杯のカクテルから一つの曲が浮かんだ。そして、一つの曲から二人の歌姫の人生を想った。

カクテルはドイツの薬草系リキュール「イエーガーマイスター」に、テキーラの「サウザ シルバー」を加えてシェークしたもの。親しいバーテンダーのオリジナルカクテルである。

ドイツには同じ薬草系で「ウンダーベルク」があるが、「イエーガーマイスター」のほうが香味は柔らかい。それでも生薬、健胃薬的な独特の強い香味個性を抱いている。シェークすることによってその個性が和らぐ。しかも「サウザ」の甘みが加わることで薬草的な感覚が静まるのだ。

味わうと穏やかでふくよかな甘さが口中に広がるとともに独特の薬草的な香味がふんわりと放たれていく。優しいのだが、何か陰翳(いんえい)をともなっているような。不可思議な趣きといえようか。

そこから浮かんだのはドイツつながりで『リリー・マルレーン』のメロディーだった。二人の歌姫とはララ・アンデルセン(1905−1972)とマネーレ・ディートリヒ(1901−1992)。

まずマレーネ。前回エッセイで紹介した小説『凱旋門』の著者、エーリヒ・マリア・レマルク同様、彼女もナチスから敵視されたドイツ人である。

彼女は1920年代からドイツ映画界で活躍し、30年代にアメリカ、ハリウッドに渡るとたちまち世界的大スターとなる。彼女のことがお気に入りだったアドルフ・ヒトラーは帰国を促す。ところがナチス政権を嫌悪していた彼女はそれを無視して、1939年にアメリカの市民権を取得してしまう。

第二次世界大戦がはじまるとマレーネはアメリカの兵士慰問機関の一員としてヨーロッパ戦線を巡り、兵士たちのために歌い、彼らのこころを癒す。そして慰問先で耳にしたイギリス兵が口ずさんでいた『リリー・マルレーン』が彼女のこころに響き、歌うようになる。

現在この曲はマレーネの歌声で広く知られているが、元はララ・アンデルセンの歌である。ララの歌声がラジオのチカラによってナチス・ドイツの兵士たちに愛され、さらには世界に知られるようになったのだ。

電波に国境はない。ラジオの歌声に連合国軍側の兵士たちまでもが聴き惚れてしまう。だからマレーネがこの曲を耳にしたのが戦地だったのである。

歌詞はこんな内容だ。街灯に照らされる兵舎の門の前で、別れを惜しむ兵士とその恋人。そこから戦場での絶望。さらには死後にまた自分が恋人を想い、街灯の下に立つ、という結末まで描いている。軍歌のような戦意高揚ものにはほど遠い。反戦歌でもない。悲しみのラブソングといえるだろう。

詩人ハンス・ライプが第一次世界大戦時の1915年、ロシア出征を前にしてベルリンにあった兵営の門の歩哨任務に就いたときに創作した詞である。タイトルのリリーは自分の恋人の名、マルレーンは友人の彼女の名。女性名を二つくっつけたものだ。

第二次世界大戦直前の1938年、この詞にノルベルト・シュルツェが曲をつけた。翌39年、歌手ララ・アンデルセンがレコーディングする。700枚プレスされ、売れたのは60枚。レコード店に山積みの売れ残りから店員が2枚を抜き、前線慰問用に送るレコードに加えたことで歌の運命が大きく変わる。

ラジオの電波により敵味方を超えて愛される

ドイツ西部のクレーフェルトの駐屯部隊で、毎晩のようにこのレコードをかけていたライントゲン曹長が、占領したユーゴスラビア、ベオグラード(現セルビア共和国首都)のドイツ国防軍放送局に転属になる。その曹長がララの『リリー・マルレーン』を電波に乗せたのだった。

1941年4月18日午後9時57分。『リリー・マルレーン』はラジオベオグラードからヨーロッパはもとより北アフリカまで流れたのである。家族、恋人。愛する人たちが待つ祖国に想いを馳せ、兵士たちはララの歌声に聴き入った。

毎日のように放送終了直前の同時刻にこの曲は流され、何百万という兵士が郷愁に浸る。放送で流れないと抗議が殺到した。しかしながらゲッペルス宣伝相が禁止曲にし、軍歌調の別バージョンがつくられことになる。

一夜にしてスターとなったララだが、ゲッペルスは彼女の歌手活動までも禁止した。彼女がスイスのユダヤ人音楽家と親しくしていたことが影響したといわれている。

一方、マレーネは慰問先で『リリー・マルレーン』を歌いつづけた。北アフリカの米軍ラジオ放送に出演したときはまず英語で歌い、つづいてドイツ語で「ヒトラーは愚か者」と発した後、ドイツ語で歌い上げた。これは捨てた祖国の兵士も聴いていることを意識した行為である。

活動を禁止されたララは自殺を図ったりもしたが、後に活動再開を許可される。しかしながら終戦直前に引退する。戦後、1952年に復帰するとヨーロッパ、アメリカ、カナダでツアーもおこない幅広く活動した。

一人はドイツを捨て、一人はドイツに生きた。戦争がもたらした、まったく対照的な二人の人生である。

さてさてカクテル名。ララ・アンデルセンから取って「ララ」とした。音楽的であるし、陰翳をともなう味わいは彼女そのもののような気がする。

それにララは終戦直前の引退時、イエーガーマイスター社のある北海を臨むニーダーザクセン州、その沖合に位置するラングオーク島に移り住んだ。


100年前のいま。1919年1月。第一次世界大戦後の国際体制を討議するパリ講和会議が開かれた。それから20年ほどで『リリー・マルレーン』が流れた第二次世界大戦が勃発。そして未だに100年前の火種は燻りつづけている。

敵味方関係なく愛された『リリー・マルレーン』は、その後も世界のどこかで戦争、紛争が起きるたびに話題となる。戦渦で流れるのではなく、平穏な日々のなかでグラスを傾けながら聴き惚れる名曲でありつづけてほしい。

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イラスト・題字 大崎吉之
撮影 児玉晴希
カクテル 新橋清(サンルーカル・バー/東京・神楽坂)

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イエーガーマイスター
イエーガーマイスター

サウザ シルバー
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