長年、カクテルのいちばん人気は「ジン・トニック」である。日本のバーでは“とりあえず”の挨拶代わりの一杯だといえよう。
材料はジンとトニックウォーター、ライムもしくはレモンの果汁のみ。すっきりとした清涼感は季節や時間を選ばない。
ご存知のように、このカクテルはマラリア対策として生まれたもので、悲惨な状況下に対処したものだった。誰もここまで世界的にポピュラーなドリンクとなろうとは思いもしなかったであろう。
マラリアという熱帯病で死亡する人は、いまだに年間200万人にのぼるという。感染症として制圧できていない。大昔は熱帯の地域だけでなく、ヨーロッパをはじめ日本にもマラリアはあった。環境の悪い場所に、土着のマラリアが発生していたのだ。
古代ローマでは現在のバチカン宮殿周辺が沼地で病原体であるマラリア原虫を持つハマダラ蚊が生息し、多くの人命を奪った。それを“ローマ熱”と呼んだ。日本には、低湿地だけでなく水田にハマダラ蚊が生息していたそうだ。環境改善や農業技術の進歩によってマラリアを克服できたといわれている。
さて17世紀から18世紀にかけての時代。アジアの特産品貿易や植民政策のためにイギリスやオランダなどのヨーロッパの国々に東インド会社がつくられ、東アジアで覇権を競った。
そんななかインドに赴任したイギリス人、インドネシアに赴任したオランダ人など、東インド会社の社員たちの死亡率は異常なまでに高かったのである。とくに6月から9月にかけてのモンスーン期は死の季節であった。この時期にはカルカッタに居住したイギリス東インド会社の社員の3分の1がマラリアによって亡くなったといわれている。
まだ医学の進歩をみない時代であり、特効薬など当然なかった。ただひとつ、コスタリカからベネズエラ、ボリビアまでの南米を原産とするアカネ科アカキナノキの根元にたまった苦い水を飲むと、マラリア患者の熱が下がると言い伝えられていた。アカキナノキは在来種の生態系に多大な影響を与えるため、現在は国際自然保護連合によって侵略的外来種ワースト100に入れられているが、可愛らしい白やピンク色の花(イラスト参照)を咲かせる。
このキナの樹皮に抗マラリア作用があることを確認し、17世紀半ばにヨーロパにもたらしたのがイエズス会の宣教師たちである。
ところが宗教改革による旧教と新教の対立問題があり、イエズス会(ジェスイット)がいかがわしい粉を広めようとしているとの風評によって、いまひとつ浸透しなかった。広く使われるようになるには時間が必要だった。