カクテルの王「マティーニ」の誕生説はさまざまに語られている。原型とされる有力な説は「ジン&イット」で、ウエブスターの『新世界辞典』にも記載されている。イット(it)とはイタリアの綴りのアタマ2文字を指す。
19世紀半ばにイタリアの酒類メーカーが、自社のイタリアンベルモットを大々的に売り出すためにジンとスイートベルモットを合わせたカクテルをPRしたことにはじまるらしい。
ただし、この時代のジンは砂糖で味付けした甘口のオールド・トム・ジンが主流だった。そこにスイートベルモットである。しかも現在のような冷蔵設備なんぞ、まだ夢見る頃であったから、甘口ジンが冷やされている訳がない。つまり常温の甘ったるい、真っ赤なカクテル、それが当時の「ジン&イット」である。
ドライベルモット(その昔はフレンチベルモット)が誕生したのはその後のこと。また切れ味のあるロンドン・ドライジンが広く流通したのは1870年代以降になってからのことである。
カクテルの変遷でいえば、19世紀後半にまず「ジン&イット」のジンのベースがライウイスキーに変わり、カクテルの女王「マンハッタン」が誕生した。つづいてイットのほうのスイートベルモットがドライベルモットに変わり、「マティーニ」が生まれた、と推察する。
瓶詰めカクテルの広告が掲載されている1892年発行のアメリカの新聞を、マティーニの歴史資料で目にしたことがある。そこには「トム・ジン&ベルモット」(つまりジン&イット)、「マンハッタン」、そして「マティーニ」の瓶詰めボトルが並んで紹介されていた。
19世紀末のアメリカで、すでに瓶詰めカクテルが市販されていたことに驚いたのだが、それとともにオールド・トム・ジン&スイートベルモットの「ジン&イット」の人気もまだ根強かったことを物語ってもいる。
さて、現代はどう味わい楽しむか。冷蔵庫はなく、氷の入手が困難な時代に生まれたカクテルだから、本来ならばジンもベルモットも常温である。でも、冷えて冴えたカクテルの味わいに慣れ親しんでいるいまの我々には、ロンドン・ドライジンの「ビーフィータージン47度」くらいは冷やしてあったほうが飲みやすいのではなかろうか。
つくり方だが、最近はミキシンググラスでステアするバーテンダーも多い。わたしはこれだけはお断りしている。やはり本来のビルド(グラスに直接つくるやり方)で味わいたい。
カクテルグラスにまず「ビーフィータージン」を入れ、次にスイートベルモットを注ぐ。ベルモットはジンと混ざるように、グラスよりも高い位置から注ぎ入れる。そしてステアもなし。そのまま、決して液体を触らない。