一攫千金。一度にたやすく利益を得ることを言う。19世紀に北米で起こったゴールドラッシュにこの言葉が当てはまるかどうか疑問だ。たしかに金の第一発見者や発見当初の採掘者たちは一攫千金だったのかもしれない。でも、そのあとに群がった人たちはどうだろう。あまりにも労苦が多く、ほとんどが、夢見る人、だったのではなかろうか。
アメリカ、カリフォルニアのゴールドラッシュは1848年~1855年の間が最盛期で、最終的に富を得たのは採掘者相手の商売をした人たちであったといわれている。その後は技術の進歩により組織的な採掘事業に移っていく。個人から、資金力のある企業の時代となった。
1896年、カナダのユーコン準州(準州とは連邦直轄領。連邦政府が自治をコントロール)、クロンダイク川の支流で金が発見された。新聞にクロンダイク地域で金が採掘されたと記事が掲載されると再びゴールドラッシュ・フィーバーとなる。噂はアメリカ西海岸シアトルから順に南下し、サンフランシスコまでたちまちにして広がり、とくに1897年からは一攫千金を夢見て、10万人がクロンダイクを目指した。
かつてのカリフォルニアと同じ現象が起こったのだが、環境は大きく異なる。ユーコン準州はアメリカのアラスカ州の東隣り。厳しい自然環境下にある。冬はマイナス60度に達することもあり、凍りつく寒さがつづく。短い夏は極端なまでに高温となる。採掘者たちはそこに最低半年分の生活必需品を持ち込む。
いくつかのルートがあったようで、ソリ、ボート、ロバなどを使って荷を運びながらクロンダイクを目指す。最も安上がりなルートは雪山に登るようなもので、約48キロもの急斜面がつづき、雪崩によって多くの生命が絶たれた。しかも大人一人がやっと歩ける道幅しかなかった。皮肉を込めてなのか、このルートを“黄金の道”と呼んだ。
川底を探り、選鉱鍋を使って金を洗い出す作業で得られればまだ楽なほうだ。それでさえも重労働なのだが、採掘によってなんとか見つけようとすると凍土であり、とにかく根気しかない。地面の下まで凍りついているからダイナマイトを使う。爆破によっても簡単には掘れなかったようで、常に火を焚き、土地を柔らかくしようとしていたらしい。
金発見当初に莫大な富を得た成功者は80人。そこから10万人が目指し、金採掘者は4千人。この数をどう捉えるか。苦難の道のりと厳しい環境下での辛い作業。凍傷、栄養失調、肺炎などの苦しみ。一攫千金を狙うというが、たやすいものではなかった。これは苦行である。
クロンダイク地域の拠点はドーソン・シティ。金の採掘によって小さな町が都市のように賑わった。2つのホテルもできた。遊興の町にもなった。金で富を得た男たちは、一夜のギャンブルに50万~100万円もの額を投じた。カリフォルニア同様、結局は採掘者相手の商売をする者たちの利益が膨んだのである。
それゆえ、とりあえずドーソン・シティに辿り着こうとするものも多かった。採掘者相手の仕事が、何かあるだろう。そんな人たちがいて不思議ではない。