カクテル「ピカドール」(Picador)に関しては連載8回『秘密が香るコーヒー/カルーア』のなかで紹介している。メキシコが生んだテキーラとコーヒーリキュール「カルーア」のシンプルなレシピである。
ところで、ピカドールとは何か。簡単に説明すると、槍を手にして馬に騎乗した闘牛士(トレーロ/torero/スペイン語)のこと。牛が馬に向かって突進して角を突き立てようとする瞬間に馬上から牛の肩甲骨を狙って槍を刺して、牛を弱らせる役目を担う。
馬の胴体にはプロテクターが装着され、しかも牡牛を怖がらないように目隠しをする。こうしてガードされた馬を巧みに操り、向きを変えながらタイミングを計って槍を突くのだから熟練の技が求められる。
さて、そのピカドールの名を冠したカクテルについて調べてみると新たな事実が発覚した。「カルーア」誕生以前に「ピカドール」というカクテルは存在していたのだった。「カルーア」が誕生したのは1936年であることをご理解いただいて話をすすめたい。
しかも事実はかなり衝撃的で、なんと「ピカドール」はテキーラベースの代表的カクテルといえる「マルガリータ」(Margarita)の元祖ともいえるものであった。物語はちょっと混み入っている。
ヒナギクのことを言うスペイン語がマルガリータで、英語ではデイジー(daisy)となる。連載123回『デイジーの季節がやってきた』では、「ブランデー・デイジー」と「メーカーズマーク46」をベースにした「46デイジー」を紹介した。これらはかなり美味しい。そして元々はギリシャ語で真珠を意味するマルガリーテス(Margarites)から派生した女性名詞である。
カクテルにおいてデイジーの定義は、スピリッツに柑橘類のジュース、フルーツシロップまたはリキュールを加えたものとされている。ヨーロッパの文献にはテキーラ、オレンジリキュール、ライムジュースが基本レシピである「マルガリータ」はデイジーのアレンジ、つまり塩でスノースタイルにしていない「テキーラ・デイジー」であると述べられているものがある。
一方、アメリカではどう語られていたかというと、アイオワ州で発行されていた1936年7月23日付のMoville Mail紙のメキシコ取材記事中において“テキーラ・デイジーは、どこにでもある”と書かれているらしい。また当時、もうひとつ「テキーラ・サワー」という呼び方もされていたようだ。
そして1937年にロンドンで出版された『Café Royal Cocktail Book』(ウィリアム・ジェームズ著)においては、「ピカドール」というカクテル名で塩無しの「マルガリータ」と同様のレシピが紹介されている。
そのためイギリスはもちろん、ヨーロッパではいまでも「ピカドール」といえばコーヒーリキュール「カルーア」なんぞ使わない、塩なし「マルガリータ」としてのレシピが紹介されているケースがみられる。
さらには1939年にニューヨークのバーテンダー、チャーリー・コノリーが刊行した『The World Famous Cotton Club : 1939 Book of Mixed Drinks』において、『Café Royal Cocktail Book』の「ピカドール」に塩でスノースタイルにした、つまり現在の「マルガリータ」として飲まれているレシピが「テキーラ・サワー」の名で掲載されている。
では現行の塩を扱ったレシピが「マルガリータ」の名で文献に初出したのはいつになるのか。それには時間がかかり、初出は1953年、9月17日付『The Press Democrat』というカリフォルニア州の新聞で、その年末には雑誌『エスクアイア』誌でも取り上げられている。