メキシコのマリアッチという楽団が演奏する曲で世界的によく知られているのは『シエリト・リンド』だ。サッカーの国際試合をはじめ大きなイベント会場で、メキシコ人たちは"アイ アイ アイ アイ カンタ ノ ジョレ"と合唱する。
Cielitoは空とか天国、Lindoは美しい。「美しい空」というこの曲は、テキーラを産出するメキシコの澄んだ青い空を連想させる。歌詞は情熱的でロマンティック。その唇は誰にも渡しちゃいけない、とか、キューピッドが射った空を飛ぶ矢は僕に当たった、といった恋を歌っている。
ところが国歌に次いで国を象徴する曲でありながら"泣かないで、歌うんだ"というコーラス部分の詞しか覚えていないメキシコ人が多いともいわれている。恋の詞の部分なんてどうでもよくて、歌って元気になろうよ、と陽気に合唱すれば、みんな仲良くなれるってことなのだろう。
一度くらい日本のバーで、カウンター客全員がテキーラを飲みながら肩を組み、"アイ アイ アイ アイ"と大合唱したいとわたしは願っている。無理だろうな。迷惑だろうな。メキシコ人の友だちをいっぱいつくって、その人たちと店を占拠してしまえばなんとかなるかもしれない。
では日本のスタンダードなバーのカウンターで似合うメキシコの曲とはなんだろう。やはり『ベサメ・ムーチョ』(Besame Mucho)がいいな。タイトルの通り、「たくさんキスして」と、しっとりと歌い上げる曲だ。
作詞作曲はコンスエロ・ベラスケスという女性。テキーラの産地があるハリスコ州出身で、『ベサメ・ムーチョ』は1940年頃につくられたようだ。
悲しいエピソードから生まれた曲という説がある。コンスエロの友だちのご主人が若くして病で亡くなった。命が尽きるのが近いと悟ったそのご主人は妻に「たくさんキスしてくれ」とせがんだ、というものだ。
永遠にあなたのもの、と語る詞に重なる物悲しいメロディは告別である。
そんな『ベサメ・ムーチョ』に合わせるカクテルといえば「マルガリータ」しかない。テキーラベースのスタンダードカクテルの代表格であり、悲恋のエピソードを抱いたカクテルとして有名だ。
誕生は1949年。全米カクテル・コンテストで3位入賞した作品で、作者はロサンゼルスのレストラン・バー「Tail O'Cock」(テイル・オ・コック/カクテルの基になった語)のバーテンダー、ジャン・デュレッサー。
その23年前、1926年、ジャンは恋人のマルガリータとネバダ州に狩猟に行く。そこで彼女は誰かが撃ち損なった流れ弾に当たるという悲運に見舞われ、ジャンの腕の中で息絶えてしまう。
コンテストの出品にあたり、ジャンは若かりし頃の恋人を偲んだ作品を創った。メキシコ生まれだった彼女の故郷の酒、テキーラをベースにオレンジリキュール(ホワイトキュラソー)とライムジュースを使い、グラスの縁を塩でスノースタイルに仕上げた。テキーラ、ライム、塩。現地の人のテキーラの飲み方の要素がしっかりと取り入れられている。
さらには彼女の名を冠した作品名「マルガリータ」はスペイン語圏の女性名のひとつであるが、ギリシャ語のMargarites(真珠/マルガリーテス)から派生したものだ。シェークによって白く輝くカクテルの色は、真珠のイメージと捉えられなくもない。
すっきりと冷えた酸味のなかに独特の甘みとほのかな苦みを感じるのはわたしだけではないはずだ。ジャンとマルガリータの「もっといっぱい、もっとたくさんキスを」の哀切が伝わってくる。
テキーラにしてはあまりにも話が重すぎる、という人のために「テキーラ・ギムレット」を紹介しておこう。ジンベースの「ギムレット」好きなわたしは、時折ジンをテキーラに変えて楽しむ。いつものジンのキレ味とは異なり、キレの中にテキーラならではのコクとふっくらとした甘みをほのかに感じる。それがまたなんともいえずいい。
テキーラベースのカクテルで軽快な味わい、喉をするっと駆け抜ける爽やかさを満喫したのならば「アイスブレーカー」を試していただきたい。
名前は氷を砕くから、砕氷船や砕氷器のことだが、転じて、打ち解ける、雰囲気を和やかにするもの、との意味もあるらしい。グレープフルーツジュースと少量のグレナデンシロップが混ざり合ったピンクがかった淡くプリティな色調に、味わいはとてもすっきりとしている。わたしは清涼飲料感覚でグビグビと飲んじゃうので、気をつけるようにしている。
さて、テキーラは「サウザ」でなくてはならない。メキシコ蒸溜業界において、テキーラを世界に広めたサウザ社の存在、貢献度は極めて高い。と、そんな広告的な話よりも、わたしにとっては20年前に六本木のバーで出会ったメキシコ人に「テキーラは、サウザだ」と断言されたことが強い印象として残っている。
スピリッツとしてのしっかりとしたボディとコクがある「サウザ シルバー」はシェークによって崩れることがない。あのメキシコ人の言った通りである。
「サウザ」のボトルを傍らに、一度くらい女性と「ベサメ・ムーチョ」と囁き合いたかった、というのが歳を重ねてしまったわたしのいまの想いだ。