前回のエッセイ『サマー・タイム・ジュレップ』において、アメリカの19世紀前半まではさまざまな酒類をベースにしたミントジュレップが飲まれていたことを述べた。現在のスタンダードであるバーボンウイスキーベースではなく、ラムやワインをベースにしたもの、ウイスキーではライウイスキーを使っていた。
今回はもうひとつの古いジュレップを紹介しよう。それは「ジョージア・ミントジュレップ」。ブランデーとアプリコットブランデーをミックスするもので、アメリカ南部では18世紀後半にはすでにポピュラーなドリンクだったようだ。
何故にアメリカでブランデーなんだ、と思われる方もいらっしゃるだろう。
17世紀から18世紀にかけてのアメリカ中西部一帯はフランス領ルイジアナだった。太陽王と呼ばれたフランス国王ルイ14世にちなんだ名である。
その管轄地域はミシシッピ川流域のほとんどを占め、北の五大湖から南はメキシコ湾に至り、東はアパラチア山脈から西のロッキー山脈までという広大なものだった。現在のルイジアナ州はフランス領ルイジアナのごくわずかな地域でしかない。
首都は南のメキシコ湾岸を移転しつつ、最終的にはニューオーリンズ(1718年建設、1723年公式首都)に落ち着いたのだが、船からおろされた酒は南部一帯に運ばれていった。だからミントジュレップの最初はラムだけでなく、ワインやブランデーベースでも飲まれていたというわけである。
おそらくブランデーベースのほうが、ライウイスキーベースよりもポピュラーであっただろうと思われる。
フレンチ・インディアン戦争や独立戦争を経て、フランス領ルイジアナはアメリカ合衆国に譲渡されていくのだが、バーボンウイスキーがケンタッキーのバーボン郡生まれで、それがブルボン朝の名に由来するように、フランスが残した刻印はさまざまにある。セントルイス、デトロイト、ニューオーリンズなどの都市名はフランス起源のものだ。ニューヨーク港内、リバティ島にある自由の女神像も、独立運動を支援したフランスの募金で贈呈されている。
さて「ジョージア・ミントジュレップ」をわたしはコニャックの「クルボアジェV.S.O.P.」とアンズのリキュール「ルジェ クレーム ド アプリコット」で味わう。
コニャックの熟成感のある甘みとアンズの独特の風味が溶け合ったなかに、爽快なミントの香味がさざ波のように漂う。デザートカクテルとして最高で、食後の満腹状態のときにバーに行ってこれをオーダーするといい。飲みすすむうちに胃が落ち着いていくのがわかる。
とくにワイン好きの女性の多くはお気に入りの食後酒のひとつに加えてくれるはずだ。