The Scotch

第11章
MATURATION

熟成

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To catch Dame Fortune's golden smile,
Assiduous wait upon her
幸運の女神の黄金の微笑みをとらえるために、
じっくり彼女をお待ちなさい。
"Epistle to a Young Friend" Robert Burns


伝説

 バランタイン社の紋章の最後の4分の1に描かれているのは、ウイスキーの製造工程における熟成の重要さを象徴する“樽”である。

 ウイスキーは木の樽で眠り続ける長い歳月のうちに、独特の色、まろやかさ、フレーバーの深みを得ていく。これは未熟なウイスキーが大人になる重要な“成長”過程であり、決して事を急いではならない。

 熟成の技術が生まれた経緯は、今では伝説と化している。ウイスキー受難の時代、蒸溜業者たちは片方の目で銅製スチルの沸騰の具合を、もう片方の目で徴税官の動きを追っていた。

 伝説によれば、ある密造者は徴税官が近づいてくるのに気づいて、密造酒の樽を地下や岩陰に隠したそうだ。その後も徴税官の目が光っていたため、結局、ウイスキーづくりを断念した。ところが数年後にその樽を取り出してみると、驚いたことに、ウイスキーはよりまろやかに、口当たりよくなっていたという。

 伝説を信じる限り、熟成の技術と科学はこうして始まった。若い未熟成のウイスキーを樽に入れる時点で、たとえ蒸溜工程は経ていても、ウイスキーの個性の本格的な形成はようやく始まったばかりなのである。

 熟成のあいだに樽の中では、いまだ科学的にも解明されていないある現象が起こる。オーク材がフィルターの役目を果たして、ウイスキーに含まれる不純物を吸収し、代わりに木糖タンニンがウイスキーの中にしみ出す。

 この双方向のプロセスはアロマや色、個性を与えるだけではない。誰にも完全には理解できない神秘的な深みを、ウイスキーに与えるのである。そのことは「ウイスキーは一般に、その蒸溜所で熟成された場合が一番おいしい」という言い伝えにも表れている。

 これは真実なのか、それとも俗信だろうか。その答えは科学の問題というより、楽しみ方の問題といったほうがいいかもしれない。たとえば、蒸溜所を訪ねた人がその蒸溜所生まれのウイスキーを、そのウイスキーの仕込みに使った水で割って味わおうとするとき、そこには、実験室では分析しがたい独特な雰囲気が加わっている。

 簡単な実験を行った蒸溜所によれば、たとえば、樽をハイランド地方からグラスゴーの町なかの貯蔵庫に移せば、はっきりとした変化が起こるという。

 「まったく違う味になることもある」とADLの品質検査部長で、蒸溜に関する数点の論文を書いているデニス・ニコルは言う。

 「ウイスキーが蒸溜所で熟成されれば、その場所のマイクロ・クライメイト(微気候)が熟成に影響を与えるからだ。別の場所に移して、別な気候のもとで熟成すれば、当然のことながら出来は違ってくる」

 重要な要因は蒸溜所と貯蔵庫の地理的距離ではなく、貯蔵庫そのものの個々のマイクロ・クライメイトと、熟成場所としての適否にあるらしい。そのため、たとえばバランタイン社のウイスキーを何十万樽も熟成しているダンバックの貯蔵庫などでは、最高級ウイスキーの熟成にふさわしい温度と大気を保つよう、厳重な監視を行っている。

 ウイスキーづくりの長い歴史のなかで、オーク材の樽による熟成は、比較的新しい習慣である。ジョージ・バランタインをはじめとする19世紀の先駆的ブレンダーたちは、シェリーやポート、あるいは甘口ワインの空き樽でウイスキーを熟成すれば、個性の角が取れて、絶妙のまろやかさになることを知っていた。

 しかし、19世紀末まで、大半のウイスキーは一切の熟成を行わず、テイストの未熟さは別のフレーバーで補っていた。一般の消費者は蒸溜したてのもの、ときにはスチルから出てくるものをその場で購入した。瓶詰めを行う場合もあったが、地方では水差しや小型の樽を各自で持参して、ウイスキーを詰めてもらうのが普通だった。

 ウイスキーが木の樽による熟成によって味わいを深めていくことは、常識としてしだいに定着し、1915年には、すべてのスコッチ・ウイスキーに3年以上の熟成が義務づけられた。当時、樽の中で起こるきわめて複雑な化学変化を完全に理解していた人はいなかった。今日の科学者たちも、熟成のさまざまな側面が未解明であることを認めている。

 研究者たちにより、ウイスキーの成分のうち600〜800種の正体はつきとめられたが、それらがどのようにしてフレーバーをつくりだすか、はっきり解明されているわけではない。研究がさらなる前進を遂げるには、さらに10年ほどかかるだろうと彼らは予想している。それにしても、いかにも楽しそうな、ウイスキーファンにはまことにうらやましいかぎりの研究計画ではある。

 若いウイスキーがコクのある、まろやかな味わいを獲得するまでの謎に満ちた“成長”過程は、蒸溜所内の空気と樽材の性格とに大きく左右される。ウイスキーの個性は、高級アルコールエステルや他の芳香成分に変化し、なめらかで個性的な性格をつくりだすことによって生まれるのである。

 賢明なマスターブレンダーは、ウイスキーを酒齢ではなく熟成度によって判断する。あるウイスキーはごく短い期間で熟成の頂点に達するし、別のウイスキーは完成の域に達するまでに15年、あるいはもっと長い期間を必要とする。

 「化学者の目で見れば、熟成はリグニンのエタノリシス反応、つまりアルコールによる木質の分解の過程だ」とデニス・ニコルは言う。

 「樽は使用する前に内側を焼いて焦がしてあるので、木炭がフィルター、つまり透過膜として働くんだよ」

 言い伝えによれば、アメリカでバーボン樽の内側に焦げ目をつけるようになったのは、ニシン用の樽を買い付けたある蒸溜業者が、その匂いを除去するために焼いたのが始まりだという。

 「蒸溜によって生じた成分が樽材に入り込み、“グリーン・フレーバー(未熟な風味)”をはじめとする、粗削りな香味の角をまるめていく」とデニスは言う。

 「熟成のあいだ、ウイスキーからは、樽材を通して毎年1〜2%のアルコールが失われていく。一緒に“不快な”成分もすべて連れ出され、樽材に吸収されてしまうんだ」

 熟成は双方向のプロセスである。ハイランドやアイランドの湿った空気が貯蔵庫に入り込むたびに、樽材は微妙な吸着と溶出を繰り返す。フレーバーを傷つける、望ましくない不純物が木炭を通して吸い出される一方で、樽材が化学的に分解し、その成分がウイスキーに戻っていく。

 「こうしてウイスキーのなかにしみ出していく物質には、ヴァニリンとかコニフェリルアルデヒドシナピルアルデヒドなどという、謎めいた名前がついている」とデニス・ニコルは説明する。

 「これらの物質は、基本的にはリグニンから派生した芳香成分、糖類、タンニンだ」

 ウイスキーは熟成によって、輝くような黄金色やフレーバーの深みを得るのだから、熟成に使う樽のタイプは重大問題である。

 一口に樽と言っても、そのサイズは容量の大きい順に、バット(500リットル)、パンチオン(450リットル)、ホッグスヘッド(250リットル)、アメリカン・バーレル(173リットル)があり、さらにクオーター(127リットル)やオクターブ(45リットル)といった小型の樽も100年前までは使われていた。

 「容量はどうあれ、木材以外の材料は使わない。それもオーク材でなければならない。それ以外のものは一切ダメだ。オークには毒性がない。細胞内に不純な物質がなく、木目が細かいので、ウイスキーを入れたときに蒸散が急激に進むおそれがないんだ」とデニスは言う。

樽職人

 ウイスキーを変色させる鉄釘を1本も使わずに樽をつくる昔ながらの技術は、長い修業を必要とする。樽職人の技術は、鍛冶屋の技術と木工職人の鑑識眼を組み合わせて、若いウイスキーを寝かせるための理想の樽をつくりあげるものだ。26枚前後からなる樽の側板を堅いオーク板から切り出し、接着剤や釘やネジを使わずに鉄の締め輪でしっかり留める製樽技術は、何世紀もの歴史をもち、独特の法則や秘伝が存在する。

 バランタイン社の製樽責任者、ダニー・ウッド Danny Wood は、6年間の修業時代を経て一人前の樽職人となり、その後、職工長に昇進した。修業中の見習い職人はみなそうだが、彼も樽鏡を削るといった単純作業からスタートした。専門の道具に慣れ親しみ、筋肉もついてくると、樽づくりのより複雑な工程に進み、腕を磨いていく。

 修業期間が終了する日、見習い契約書は大切な記念となり、ダニーもお定まりの儀式を逃れることはできなかった。

 「樽の中に押し込まれ、みんなに水をかけられるんだ」と彼は回想する。

 「それから鉋屑やら、卵やら、小麦粉やら、手当たり次第にまぶされて、工房の床を転がされる。こうして散々な目に遭わされて、初めて徒弟修業が終わり、職人として独り立ちするんだ。あとは仲間にウイスキーをおごって、お祝いさ」

 <バランタイン17年>のブレンドに使われるモルトウイスキーは、甘美な風味と色合いをもたらすシェリー樽や、ホワイト オーク製のバーボン樽を使って熟成している。アメリカの法律ではバーボンの熟成樽は新樽に限られるが、スコッチ・ウイスキーの蒸溜所は、シェリー樽と同様、バーボンの熟成に使ったオーク樽がウイスキーに微妙な個性を与えることを知っている。

 樽を一度しか使わないというアメリカの法律は、樽職人に安定した雇用を保障するよう、労働組合が政府に圧力をかけた結果だという。樽の使い捨てというアイデアに議会も同意して、新制度が導入されたのである。

 しかしながら、まだまだ新しい良質の樽が豊富に供給され、それを買い入れることができるということは、スコッチ・ウイスキー業界にとっては福音であり、スコッチの蒸溜所はこれに飛びついた。

 こうして第2次世界大戦直後で経済的にも大変だったスコットランドに、アメリカから安価なバーボンの空き樽が次々と輸入され、その再利用が始まった。それがバーレルであり、そのバーレルをバラバラにして、側板を増やして組み立てた樽が“ホッギー”ことホッグスヘッドである。再製する際に側板の両端を切りそろえるため、ホッギーはバーレルにくらべ、長さが短く胴が太い、ずんぐりとした形である。それで“豚の頭 hog's head”などという名前がついたのかも知れない。

ウイスキーのまどろみ

 モルトウイスキーもグレーンウイスキーも、熟成期間中に、樽の大きさ、貯蔵時のアルコール度数、あるいは貯蔵庫の温度や湿度などの影響を受ける。

 <バランタイン17年>の原酒がすべて、ウイスキー通の口に入るわけではない。樽には気孔があり、外部から空気が入り込むと同時に、微量のウイスキーが外部に排出されるため、毎年、ウイスキー全量の約2%が蒸発し、二度と帰ってこない。こうして失われた分は“天使の分け前”と呼ばれている。

 長い年月のあいだには“分け前”も相当な量に達する。誰かが試算したところによると、スコットランドでは、この樽を通した自然の蒸散現象によって、毎年9万キロリットルが失われている。つまり、1年に1億5000万本前後のウイスキーが天空に昇っていくことになる。

 また、モルトウイスキーは樽で貯蔵されているあいだに年2%ずつ減っていくのだから、5年、10年と年数が増えるほど当然、中味は少なくなっていく。17年も寝ているとどうなるだろうか。数学の得意な人は計算してみてほしい。<バランタイン17年>は、たくさんの原酒を天使に飲んでもらって身を削りながら、ウイスキー通のグラスの前に立つ。実にいとおしい、健気なやつではないだろうか。

 だが、樽の中のウイスキーは減っていくだけではない。四季の気温の変化によって夏は膨張し、冬は収縮している。この膨張と収縮を繰り返すことによって“呼吸”しているのだ。この呼吸によって微妙なフレーバーが樽からウイスキーにしみ込み、蒸溜所周辺のかすかな潮風やハイランドの霧雨がウイスキーにもたらされる。蒸溜所によって、貯蔵庫を開け放して通気をよくし、こうした外的要素を積極的に取り入れるところもあれば、できるかぎり温度を一定に保つ方針のところもある。このように、高度な化学作用と自然の影響が混じり合うため、貯蔵庫の大きさや形もまた重要視されている。

 平屋建ての貯蔵庫にくらべ、樽を12丁も積み重ねているような貯蔵庫では温度変化が大きい。バランタインの貯蔵庫ではどの樽も均等に熟成が進むように、激しい温度変化を避け、一定の温度を保つようにしている。

 「樽を12丁も重ねるような貯蔵庫では、“高低差”と呼ばれる現象が起こる」とデニス・ニコルは説明する。

 「最上段の樽で熟成されたウイスキーと、一番下の樽で熟成されたウイスキーのあいだに微妙な違いが出るんだ。こうした貯蔵庫より、もっとやわらかく、まろやかなフレーバーになる貯蔵庫もある。理想的なのは、伝統的な3段積みができるようにつくられた貯蔵庫だ。でも現代の基準で言うと、そういう貯蔵庫は決して経済的とは言えない」

 バランタイン社のモルト蒸溜所の多くは、伝統的な貯蔵法を採用している。好んで使われる樽の貯蔵法は“ダンネージ(輪木積み)”と呼ばれるもので、床に輪木を敷いて樽を並べ、その樽の列の上にまた輪木を置いて樽を並べていく方法である。

 スコッチ業界で最も伝統に忠実な蒸溜所であるバルブレア蒸溜所が、その好例だ。

 「うちの蒸溜所では、スチール製の棚など一切使っていない」とバルブレア蒸溜所所長のジム・イェーツは説明する。

 「コンクリートを使っているのは、荷積車が通る中央の通路だけだ。もっぱら、地面に樽を輪木積みする昔ながらのダンネージ法に頼っているんだよ。貯蔵庫はすべて平屋で、通気をよくしてある。1895年に建てた貯蔵庫では樽を3段に積み重ねているが、その効果は飲めばはっきりわかると思うよ」

 平屋の貯蔵庫の問題点は、広い敷地を必要とするということだが、専門家たちはそれだけのことをする価値があると考えている。

 「1964年に建てた貯蔵庫は全長約150メートル。スコットランドのどの蒸溜所の貯蔵庫にも負けない長さだ」とジム・イェーツは言う。

 「保険会社はその広さに少々神経質になった。火災が起これば、大半のウイスキーが失われる。そこで中央に仕切り壁をつくり、2つに分割せざるを得なかった」

 バルブレア蒸溜所の貯蔵庫に流れ込むハイランドの大気は、ほんの1キロしか離れていない北海沿岸のドロナック Dronach 湾の湿気をたっぷりと含んでいる。アイラ島では、アードベッグとラフロイグのいずれの貯蔵庫も海に面している。

 蒸溜所の所長たちによれば、潮風にさらされたウイスキーは熟成期間が多少長くかかるという。その理由は、スコットランド西部の島々を取り囲むメキシコ湾流の水温が年間を通じて一定しており、樽の膨張・収縮がよりゆっくりしたペースで繰り返されるためだと推測されている。さらに、バットはホッグスヘッドより、またホッギーは通常のバーレルより、熟成に時間がかかる。小さな樽ほどウイスキーのオーク材に接する表面積の割合が大きく、樽材からより強い影響を受け、結果として熟成が早まるのである。ただし、樽の大小で熟成のバランスは異なり、小さければよいというものではない。

 ウイスキーづくりは決して急いではいけない。品質こそがマスターブレンダーの最大の関心事なのだ。

 「熟成はきわめて主観的なものだ」とデニスは説明する。

 「ある人が熟成の半ばにあると思っても、別の人は熟成完了と判断することもある。熟成はブレンダーの経験に任せるのが一番だ。ただし、私はそれぞれのウイスキーには熟成のピークに達する固有の期間があると考えている。多分スペイサイド・モルトは12年、アイラ・モルトなら15年か17年といったところだね」

 「例をあげると、<ラフロイグ>の10年ものには、強いピートの香りとスモーキーフレーバーがある。これをさらに5年寝かせてごらん。ピート香は抑えられ、木香が出てくる。そうしたほうが2つの香りのバランスがよくなるとは言わない。だが、ウイスキーにほとんどコニャックに似た個性が生まれ、樽から残響の長いフレーバーが出てくるのがわかるはずだ」

 瓶詰めされて、空気を遮断された時点で、熟成は完全に停止する。<バランタイン17年>のボトルの1本1本が一貫した品質とフレーバーを保っているのはこのためである。

 蒸溜が終わった時点で<17年>に使われているモルトウイスキーのアルコール度数は約70%だが、樽に詰められる前に63.5%、111プルーフの濃度にまで薄められる。

 「業界には、スチルから出てきた溜液を薄めず、そのまま樽に詰めるところもある」とデニスは言う。

 「水をまったく加えないから、熟成させる量が少なくてすむというわけだ。しかし実際には、水を加えることで熟成が促され、熟成度が深まると私は考えている」

 熟成されたウイスキーは、そのままブレンドするには アルコール度数が強すぎるため、ミネラル分を除いた中性の水で43%にまで薄められる。

 「ミネラルを除いた水は、ウイスキーに影響を及ぼす可能性のあるカルシウム、マグネシウム、鉄、銅などの金属イオンを取り除く働きをする。たとえば、ウイスキーが鉄分と接触すると、緑色や黒い色がついて取れなくなる。濁りを生じる微細な分子を専門用語で“フロック(綿屑)”と言うが、カルシウムはこの原因となる」とデニスは付け加える。

 かくてウイスキーが瓶詰め工程に達するまでに、バランタイン社の紋章に描かれた4要素がそれぞれの役割を十分に果たしてきた。発芽、糖化、発酵の各工程でいのちある大麦は山のピュアな水と結び合ってきた。ポットスチルの個性も独自の力を発揮し、最後にはオーク樽が若いウイスキーを迎え入れ、繊細でまろやかなウイスキーへと熟成させてきた。

 本書でここまで見てきたように、スコッチ・ウイスキーをつくる職人たちは、原料となる自然の恵みを最大限に生かすため、各工程であらゆる努力を払っている。完熟した良質の大麦を得るために栽培・育種から取り組み、求める心地よいスモーキーフレーバーを得るために良質ピートを地中深くから人の手で切り出し、ピュアな水の確保には血眼となり、積極果敢に伝統の精髄と近代技術を組み合わせて蒸溜・熟成の技を磨き上げているのである。


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