But when thou pours thy strong heart's blood
There thou shines chief
けれどお前がその力強いエキスを注ぎ出す、
そのときにこそお前は光り輝く。
"Scotch Drink" Robert Burns
スコッチ・ウイスキーは通常2回、アイリッシュ・ウイスキーは3回蒸溜される。アイルランド人は、自分たちのやり方が本物だと自慢する。スコットランド人は苦笑いする。アイルランド人の言い分は、これまでもさんざん聞いてきたからだ。そしてこう言う。最初の蒸溜をきちんとすれば、アイルランド人だって3回も蒸溜しなくてすむだろうに……と。
実際、ロバート・ヒックスのような卓越したマスターブレンダーは、3度目の蒸溜を行っても、完成品のフレーバーにまったく変化はないと考えている。よかれという思いから、首の長いポットスチルがいいとか短いほうがいいとか、議論はさまざまに続いているが、一方で、ウイスキーのあの比類ないフレーバーが一体どこから、どうやって、やってくるのかという疑問は、いまだ未解決のままである。
むろん大麦が関係しているだろう。ピートの量も間違いなく影響しているはずだ。地域ごとに異なる水の質や性格も無視できない。それでもなお、良質のウイスキーを生み出す要因、しかも誰もがおおむね認めている要因といえば、手づくりの銅製スチルの大きさと形である。
蒸溜所の名人と言われた職人たちは、昔から、モルトウイスキーの繊細な味わいを損なわないように、一切のスチルの変更を避けてきた。スチルのくぼみや蜘蛛の巣までを神聖視するほどだった。ポットスチルをめぐる迷信も、災いを避ける生活の知恵も枚挙に暇がない。大気や蒸溜所の立地そのものがウイスキーに与える神秘的な影響についても、やはり多くの議論が交わされてきた。
「19世紀末、ローセス Rothes に近いある有名な蒸溜所が、商売も順調ということで拡張を思い立った」とADLの元モルト蒸溜所所長、ビル・クレイグは話す。
「そこで、道を隔てた向かい側に新たな蒸溜所を建て、同じ水、ほぼ同形のスチルを用意した。通りには、新蒸溜所から旧蒸溜所に溜液を運ぶパイプまで設置した。不思議なことに、新しい蒸溜所でつくられたモルトウイスキーはより軽く、フルーティーで、もとのウイスキーとは似ても似つかなかったので、別の商標をつくったほどだ」
ウイスキーづくりの神々が微笑むのだろうか、ときには蒸溜所の引っ越しが成功する場合もある。
自然に恵まれた美しいロス&クロマティー Ross & Cromarty にあったバルブレア蒸溜所は1872年、新設された鉄道の便を考えて、800メートルほど離れた場所に引っ越した。不思議なことに、この危険な賭けは吉と出て、ウイスキーのフレーバーは少しも損なわれなかった。オーナーたちはこれを例外的な幸運と心得ていて、その後は一度も移転を行っていない。
「ウイスキー業界はとても保守的なんだ」と、ビルは笑いながら言う。
「その蒸溜所が良質のウイスキーをつくっているなら、製品に影響が出ることを恐れてひとつの変更も加えたがらない。ごく普通の人たちは違いに気づかないかもしれないが、マスターブレンダーは必ずそれを見つけるからね」
“壊れてないなら修理はするな If it ain't broke, don't fix it.”というアメリカの古い格言は、ほとんど蒸溜所のモットーそのものである。
昔から「ネックが長いほどウイスキーは軽くなる」と言い習わされている。その論拠は、アルコールを含んだ蒸気に含まれる油脂分やその他の不純物が、ネックの上方で凝縮する前に釜本体に落ちてしまうので、より純粋なウイスキーができるというものである。そうだとしたら、たとえばバルブレアなど、ずんぐりしたポットスチルを使っている蒸溜所で、どうして良質のモルトができるのだろうか。
バルブレア蒸溜所はここ数年、シングルモルトの出荷はせず、ほぼバランタイン社への原酒供給に専念し、広報活動も宣伝活動もまったく行っていない。それでも周辺の城館を訪れる、金も名誉もある国際的賓客たちのあいだで人気を博している。彼らはわずか数分のところにある、ハイランドで最も背の高いスチルを誇る有名なライバル蒸溜所には目もくれず、バルブレアに立ち寄って、その伝説的モルトウイスキーのテイスティングを所望するのである。
答えはおそらく第2の説に隠されている。つまり「ウイスキーの個性は溜液の純粋さによって決まるのではなく、溜液に含まれる天然の不純物によって決まる」というものだ。
ウイスキーの素晴らしい芳香は、純粋なアルコール以外の、このデリケートで微量な不純物によると考えるのである。
「われわれの蒸溜所は205年間、同じ水を使っており、スチルの形も一度も変えていない」と、バルブレアの所長ジム・イェーツは言う。
「今のところ、変えなければならない理由はひとつも見つからない」
高度な職人技を駆使してつくれば、長期の使用に耐えるスチルができあがる。
「ミルトンダフのスチルは1896年に設置され、1950年に交換している」とビル・クレイグは言う。
「そのあいだに幾度、肩の部分やネックを修繕したり、交換したりしたか知れない。戦争直後は銅が底をつき、継ぎ当てや補強を繰り返した。ようやく新品と交換できたときには、もう銅が薄くなっていて、親指で押せばペコペコへこんだくらいだ」
「長い年月のうちに、ウイスキーづくりにも多くの変化があり、改善があった。機械化が進み、昔のような骨の折れる力仕事はなくなった。だが、重要な部分は昔のままだ。蒸溜の基本技術に関する限り、長年の経験から生まれたノウハウに従っている部分が大きい」とビルは言う。
ハイランドにある蒸溜所の生活の一部は、十年一日のごとく変わらない。ビルは、ウイスキーが馬や荷車に乗せられて蒸溜所から送り出され、電力をダムの水力発電に頼っていた時代のミルトンダフを覚えている。
「真夜中に父が私を起こし、“ダムが満水だ、行って水門を開けてきなさい”と言いつけることもあった。私はそれが全然イヤじゃなかった。むしろ嬉しくて仕方がなかったよ」
ビルが少年だった1930年代には、父親はミルトンダフ蒸溜所の所長で、叔母のマーガレットはグレンバーギー蒸溜所を経営していた。彼女はスコッチ・ウイスキー業界初の女性所長として有名だった。ビルは学校帰りに自転車を走らせ、しばしば父親と叔母を訪ねたものだ。16歳になると父親のたどった道を追って、ミルトンダフの見習い職人になった。そして父が引退すると、工場長の地位に就いた。
「ウイスキーづくりが面白いわけは……」と、ビルは昔を懐かしむように言う。
「製造工程が完全には予測することができないからなんだ。生きた有機物を扱うし、スチルマン(蒸溜係)の眼力や、そのチームの技術が大きく物を言う。計量できない要素がいつもつきまとうんだ。いろいろ分析した結果を言えば、蒸溜の仕事に理論は通用しないということだよ。説明できないということを、決して恥ずかしいとは思わない。そして、バランタインのような高品質スコッチ・ウイスキーの成功の理由のひとつが、そういった説明できないところにあることは確かだ」
今も木製のウォッシュ・バックを使う、数少ない蒸溜所のひとつであるバルブレアでは、ウイスキー業界で最古のスチルを、緊急時の代替用として保存してある。
「銅板を鋲で接合した、今世紀初頭のものだ」と、ジム・イェーツは誇らしげに言う。
「とても貴重なもので、私がここに勤めてから18年間、一度も使われたことはない。しかし必要とあらば、明日からでも使えるよ」
スコットランドの銅職人たちはポットスチルの修繕に忙殺されている。スチルに使われている銅は、底のほうが厚さ約2センチ、肩の部分が約1.3センチである。肩と首の接合部“オジー(S字曲線)”は最もすり減りやすい部分で、やはり1.3センチ、さらにネックへと上がっていくと、約1センチまで薄くなる。
昔は、銅板をハンマーで叩き出して、手づくりでスチルを製造していた。そのため、スチルごとに打ち出しの跡が異なっていた。今は銅板をローラーと人工ハンマーで成形してスチルをつくるので、表面はずっとなめらかになった。
ウォッシュ・スチル(初溜釜)とスピリット・スチル(再溜釜)は昔から石炭かピートを燃料に使った。熱量を細かく調整できないという欠点があり、火が強すぎるとウォッシュが沸騰して、溜液のフレーバーが飛んでしまう。
<バランタイン17年>の主要モルト原酒をつくるオークニー地区のスキャパ蒸溜所は、1885年、スチルを二重壁にし、蒸気を入れて、釜を外から加熱する蒸気ジャケットを採用した最初の蒸溜所のひとつとして出発した。加熱用蒸気を石炭ボイラーでつくるもので、業界に旋風を巻き起こした。
それまでウイスキーづくりは伝統的手法を忠実に守り、天然原料のみを使ってきたが、蒸溜所も一種の“工場”であるという面では、スコットランド人の技術、経営、発明の才が発揮されたのである。
「これはうまくいかなかった。灯油に多く含まれている硫黄が、スチルをダメにしてしまったんだ」
はやり廃りに容易に流されないバランタイン社は、新しい手法が<バランタイン17年>の品質や希少性に影響を及ぼすことを恐れ、あくまで慎重な姿勢を貫いた。ビルが説明するように、一般の人がフレーバーの変化に気づかなくても、マスターブレンダー、ジャック・ガウディーの伝説的な嗅覚は、そんな変化を見逃したりしなかった。
むしろ、バランタイン社はチャンスの到来を待った。ビルと彼のチームは、ポットスチルの内部に螺旋状の加熱用チューブを取り付ける方法を実験し始めたのである。
「熱源が電気ではなく、蒸気という違いはあるが、熱線を入れてお湯を沸かすヤカンに似た構造だった」と彼は言う。
「私は1958年にグレンバーギー蒸溜所の所長に任命された。蒸気加熱についてはあまりよく知らなかったが、小型のスチルでいろいろテストしてみて、実用化する気になった。この方法の長所のひとつは、石炭よりずっと温度調節が容易なこと。だが最大の魅力は、品質やフレーバーを損なわずに燃料コストを半減できることだった」
「燃料に石炭を使う欠点のひとつは、うっかりするとスチルの底を焦がしてしまうことだった。ウォッシュが沸騰して泡が吹き上がってきても、温度を調節するにはホースで冷水をかけ、熱を下げるしかない」
「当時、スチルの内部を監視できる覗き窓はなかった。中空のボールをスチルに入れておいて、中の液体が沸騰したらスチルのてっぺんにぶつかるようにしてあったんだ。こうして、燃やしては消しを繰り返すうちに、ずいぶん石炭を無駄にしていたよ」
実験は大成功を収めたので、1959年にプルトニー蒸溜所とグレンカダム蒸溜所、さらにミルトンダフ蒸溜所が続き、とうとうバランタイン社の蒸溜所すべてが、スチル内の蒸気加熱方式を採用するようになった。
「他社の蒸溜所もこのアイデアを真似るようになったんだ。彼らの大半は、そのことを極秘にしていたけどね」とビルは回想する。
「品質へのこだわりを犠牲にせずに技術革新を達成できたので、われわれは大満足だった」
スチルの銅の表面に当たる熱量が減ったため、スチルの寿命も延びた。熱心な蒸溜所の所長なら、スチルの交換によって自社のウイスキーのフレーバーが失われるのを防ぐためなら、どんなことでもしただろう。
蒸溜所の所長が、蒸溜室の蜘蛛の巣を払うことにさえ神経を尖らせた時代もあった。
「笑い話だと思うかもしれないが、無理もないことだった」とバルブレア蒸溜所のジム・イェーツは言う。
「100年以上も良質のウイスキーをつくってこれたのだから、それを変える理由は見つからない。“ヘタにいじると命取り”という考えなんだ」
しかし、大麦がこの蒸溜工程に進むためには、その前に糖化工程と発酵工程をくぐることが必要だ。
ブドウなどの果物は果肉自体が糖質であるから、直接、酵母によって発酵させることができる。しかし、大麦などの穀物はデンプンであり、このままでは発酵しない。酵母は糖分を食べて活動するからである。そこで、穀物のデンプンを糖分に変える工程が必要となる。それが発酵工程のための前工程、仕込みであり、糖化工程ともいう。
仕込みは大麦麦芽の粉砕から始まる。粉砕したグリストと温湯をマッシュ・タンに入れてよくかき混ぜると、麦芽中のデンプンは酵素の力で分解して麦芽糖とブドウ糖に変わり、水飴のような甘い匂いのするウォートができる。デンプンが糖化されることで、発酵の準備が整うのである。
ウォートをウォッシュ・バックに入れて酵母を加えると、発酵が始まる。酵母は麦芽糖を栄養として増殖し、その生活の営みの結果、アルコールと炭酸ガスがつくりだされる。ウォートは、最終的にはアルコール分5〜10%の穏やかなモルト・エールに変身する。これがウォッシュという発酵終了モロミである。
かくて、ウイスキー蒸溜の準備はできた。ポットスチルによる蒸溜の開始である。まず、第1回目の蒸溜のため、ウォッシュ・スチルにウォッシュが送り込まれる。ウォッシュ・スチルは蒸溜工程の中心であるスピリット・スチルよりも多くの液を入れるため、一般にはより大型である。
ウォッシュ・スチルは水の沸騰点の直前まで熱せられ、ウォッシュがブクブクと沸騰して気化が始まると、その温度が維持される。アルコールや揮発性の強い成分がまず気化し、ネックを上昇していき、コンデンサー内のウォームで凝縮される。ウォームは螺旋状の銅製チューブで、流水によって冷やされている。
ウォッシュ・スチルからとれた初溜液を“ローワイン”と呼ぶ。初溜はウォッシュのアルコール分がすべて蒸発するまで続き、ローワインはこの間、ローワイン・レシーバー(初溜液受けタンク)に入っていく。次にこれをスピリット・スチルに移し、注意深く温度調節をしながら、よりゆっくりと、より正確に再蒸溜を行う。
昔の徴税官たちは「税金が支払われる前にウイスキーの製造工程のどこかで不法に手を出す者がいては一大事」と神経過敏になっていたため、1823年にスピリット・セーフが発明された。検度器ともいうこの奇妙な道具は大きな南京錠をつけた金魚鉢のようなもので、現在も使用されている。これを使えば、スチルマンは溜液にまったく手を触れずに蒸溜工程を調節したり、監視することができる。
さて、再蒸溜が始まると、加熱したローワインから上がった蒸気がネックへと上昇し、コンデンサー内で冷却される。こうして凝縮されはしたものの、まだウイスキーとは呼べないローワインがスピリット・セーフ内を流れていくあいだ、スチルマンがこれを絶えず監視するわけである。
蒸溜液の流れは通常、3つに分割される。その1つ1つを“カット”と呼ぶ。最初に流れ出る“フォアショット”は前溜液ともいい、ウイスキーにとって有害な天然の油脂分と不純物を含んでいる。
フォアショットの流出は最大40分まで続く。これが終わると、無色透明の溜液がスピリット・セーフの中を流れ始める。スチルマンはその青みが薄れる度合いによって、 溜液が純粋になってきたことを知る。そこで、溜液の純度が高くなったのを確かめるため、溜液に水を加えてテストすることもある。溜液が濁るようなら、まだフォアショットが出ている。濁りがなくなれば、フォアショットが終わった証拠だ。
フォアショットに続く再溜液の真ん中の部分、“ミドル・カット”とも“センター・カット”とも呼ぶこの“中溜”部分こそが、モルトウイスキーである。この中溜液はアルコール含有量約60%。スピリット・レシーバー(受けタンク)に入り、樽詰めを待つ。
蒸溜が終わりにさしかかり、銅製のスチルが熱せられて、アルコールの大半が蒸発すると、油脂分や他の不純物が気化し始める。これがウイスキーに混じると、いやな味がついてしまう。中溜液のあとの、この最後の部分を“フェインツ(後溜液)”と呼ぶ。フェインツは前述の好ましくない部分、フォアショットとともに溜液受けに戻されて、新たなローワインと混ぜ合わされて、次の再蒸溜に回される。
スチルマンは、スピリット・セーフのレバー操作だけで溜液の流れを変え、フォアショット、センター・カット、フェインツを自由に分けていくことができる。スピリット・セーフには溜液を検査するための比重計がそなえてあり、スチルマンはこれによってアルコール分の溜出が終了し、蒸気がアルコール分を含まない水に変わるのを見分ける。
中溜液をきっちりカットするには、高度な技術と経験が必要である。ラフロイグ蒸溜所の所長イアン・ヘンダーソン Iain Henderson はこう語る。
「スチルマンがこの段階でちゃんとした仕事をしないと、マッシング(モロミづくり)や発酵にどんなに手をかけても、また樽の熟成にどんなに時間をかけても、最高品質のものはつくれない」
それでは、あるウイスキーが別のウイスキーに勝る理由は、方法の問題にあるのだろうか。それとも、ポットスチルの形や大きさがフレーバーを左右するのだろうか。
周知のとおり、蒸溜工程に入る前にフレーバーの成分は決まっている。したがって、ポットスチルの形や大きさは、実際には最も重要な要素ではない。蒸溜を左右する条件についてのこの説には反対する人も多いが、バランタイン社の分析担当者やマスターブレンダーはこの考えを支持している。中溜液を正しくカットするため、考えられる限りの技術と精度を駆使することが第一で、形や大きさが重要という伝統的な考え方は二の次だと彼らは考えている。
「溜液が完全に透明になるまで、つまり最高40分まで、フォアショットを流すべきだという説がある」とロバート・ヒックスは言う。
「しかし、その方法では必要なフレーバーまで逃してしまう可能性があるという考え方もある。透明になる前の溜液がもつフレーバーのいくつかは、われわれがまさに求めているフレーバーであり、決して捨ててはいけないと教えられてきた。だから、わが社が所有する蒸溜所では、フォアショットを10〜25分間流したら前溜を終了し、中溜に移ることにしている」
「フォアショットの時間は、私かアシスタントのサンディー・ヒスロップ Sandy Hyslop が各蒸溜所を回って決めている。2分半ごとにスピリット・セーフからサンプルを取り、フレーバーをチェックするんだ。サンプルのなかには望ましくないフレーバーも入っている。反面、望ましいフレーバーも含まれている。ご存じのように、フレーバーは熟成し、何年かのちに、まさに望んでいたとおりのものに仕上がる。われわれは蒸溜に関して、すべてこの考え方に基づいて行っている。各蒸溜所のスチルが安定した 製品を生み出せるなら、スチルがどんな形をしていようとさほど気にすることはない」
「サンプルを細かくチェックするときは、求めるレベルをあらかじめ決めておく。昔から言われている時間より、10〜20分くらい早まることもある。たとえば、背が低くてずんぐりしたスチルは、10分もすれば望むフレーバーが出てくることがある。背が高くて細いスチルの場合は、同じフレーバーを得るのに20分かかるかもしれない」
「早めにカットして、溜液の色ではなく、ノーズで判断することにしている。中溜液が透明になるまで待つという旧式の考え方だと、望ましくないフレーバーはカットされる。だが、そうしたフレーバーのなかにも、求めているものがあるとわれわれは信じている。早めにカットしても、できあがるウイスキーは完全に透明になるものだ」
ロバート・ヒックスはさらに続ける。
「私は伝統を信奉している。だが、新しいものにも興味がある。わが社のこうした考え方は<バランタイン17年>が誕生したハイラム・ウォーカー時代に身につけたものだ。 <17年>が誕生したとき、それが正しいことを確信した。この考え方によってわが社は<バランタイン17年>だけでなく、バランタイン社の製品全体に求めていたスタイルを確立することができたんだよ」
大麦と水が出会い、ポットスチルによる錬金術を経て、若いウイスキーは生まれた。あとは熟成するのを待つばかりである。その長い熟成期間に、ウイスキーとオーク樽の相互作用があり、独特の個性が育まれるのである。