The Scotch

第9章
WATER

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Enjoying large each spring and well,
As Nature gave them me
それぞれの泉、また水源を、存分に楽しむ、
自然が私に恵みしが故に。
"The Humble Petition of Bruar Water" Robert Burns


スコッチ・ミスト

 清流がバランタイン社の紋章で主要な象徴として扱われているのは、水がウイスキーの主原料であるからだけでなく、スコットランドの気候を形づくる重要な要因でもあるからだ。

 スコットランドのどの地方を訪れても、地名こそ違え、天候の表現が何となく似通っていることに気づくはずだ。たとえば、エアシャーでは「クライド湾の向こうにアラン Arran 島がはっきり見えたら、やがて雨。はっきり見えなかったら、すぐに雨」などと言われる。

 しっとりした小雨はスコットランド名物だ。“スコッチ・ミスト”と呼ばれるこの霧雨は、太古以来の古い岩の上に降り注ぎ、しみ込み、泉となり、渓流となって、国際的なウイスキー産業の原動力となる。

 それぞれのモルトウイスキーのスタイルやフレーバーが異なるように、水の質や性格もさまざまだ。ある地域ではピートの褐色を帯び、ある地域では水晶のように透明で、それがウイスキーの微妙な個性に影響を与えている。

 水の専門家、ジョン・ハミルトン John Hamilton の説明を聞いてみよう。彼はハイランド・スプリング Highland Spring 社を創業し、1992年にはスコットランドのゴルフのメッカのど真ん中に、グレンイーグルス・スプリング・ウォーターズ Gleneagles Spring Waters 社を設立している。同社は毎時400トンの原水を確保しており、これだけで英国全体の飲料水の需要をまかなうことができる。現在はバランタインの親会社、アライド・ドメック社の傘下に入っている。

 「ウイスキーの仕込み用の水を供給するハイランド・スプリング社を創業した当時、50メートル以内に2つの水源が並んでいた」とジョンは言う。

 「一方は繊細な味わいで、他方は喉の奥にかすかな刺激が残った。これはマグネシウムが含まれている証拠だ。ここグレンイーグルスには、1キロ以内に2つの水源がある。一方は重炭酸塩が多く、他方は100%の天然水だ」

 このように、スコットランドでは狭い地域内でも驚くほど水質に差があるため、蒸溜所では使用する水がきわめて重要だ。蒸溜所が優れた水を確保することは、自家製麦を行う場合の大麦の発芽工程を含め、糖化・発酵・蒸溜に至るまで、ウイスキーづくりのすべての工程において大きな力となる。水はウイスキーがグラスに注がれるまで、微妙な影響を与え続けるのだ。

 そのため、ウイスキーづくりを行う人たちは証明書をつくり、契約書を交わしてまで、必死に水源の所有権を守ろうとしてきた。

水争い

 たとえば1907年、アイラ島のラフロイグ蒸溜所で水をめぐる大騒動が起こった。当時、この蒸溜所は、ハンター夫人 Mrs Hunter とカサリン・ジョンストン Katherine Johnston 嬢という姉妹によって経営されていた。ふたりは、会社の代理人マッキー Mackie 氏には<ラフロイグ>への熱意が足りないと判断し、解任した。すると彼は大いに怒り、部下を使ってラフロイグの大切な水を石で塞き止めてしまったのだ。川には水がチョロチョロと流れるだけになり、ウイスキーづくりは中止に追い込まれた。

 ラフロイグ蒸溜所のピート層をくぐって湧き出す茶色味を帯びた水は、ほとんど神聖視されており、このモルトウイスキーの核となる個性と表裏一体をなすものであり、その独特の味わいはこの水からしか生まれないと考えられてきた。他のどんな水でも代用することはできなかった。

 水源は人里離れた洞窟クノック・モール Cnoc Mor にある。ここは、すでに数千年前、ウイスキー蒸溜が始まる遥か昔から、ケルト人たちによって神聖な場所として崇められ、高さ約4.5メートルの石が立てられている。

 アイラ島には急流が多く、理論的にはどこでも代わりの井戸が掘れたはずだ。しかし、それでは<ラフロイグ>ではなくなってしまう。姉妹にとって、マッキー氏の行為は宣戦布告にも等しかった。長期にわたる法廷闘争が展開され、最終的に、マッキー氏は丘陵地帯に溜まっていた水を放ち、川を元通りにするよう命じられた。

 さらに怒りにかられたマッキー氏は、1マイル(約1.6キロ)しか離れていない場所に別の蒸溜所をつくり、ラフロイグ蒸溜所を業界から追い落とそうと決意した。そして、ラフロイグの仕込み係を自分の蒸溜所に引き抜き、そっくりのスチルをつくり、隣接する水源から水を引いた。だが、そこはウイスキーづくりの不思議さ、そしてアイラ島の水と土地の複雑な関係である。できあがったウイスキーは、この島随一のモルトウイスキー<ラフロイグ>とは似ても似つかない味だったのである。

さまざまな水質

 よく“硬水”とか“軟水”とか言う。だが、ジョン・ハミルトンほどの専門家になると、この違いを舌ではなく、指先で見分けることができる。

 雨水や河川水のような軟水は、程度の差こそあれ、カルシウムやマグネシウムの含有量が少ない。一方、硬水には石灰分や塩類をはじめ大量のミネラル(鉱物)が溶け込んでおり、石鹸の泡が立ちにくいことは、よく知られている。

 「数年前、パキスタン北西の国境近くに行き、ボトリング(瓶詰め)に適した水源を探したことがあった。ある川に行ったが、洗濯をしている人がいたので、どうも味見する気にはなれなかった」と彼は言う。

 「そこで指先を濡らしてテストしてみた。硬水は乾いたあと、ベタベタした感じが残る。軟水は指先がしっとりする。確認のため、洗濯している男性に石鹸を借りて試してみたら、実によく泡立つ。紛れもなく軟水の証拠だった」

 スコットランドの水はほとんどが軟水で、鉄分が非常に少ないとジョンは説明する。かすかにミネラル分を含んでいるのが特徴だ。そのため、たいていの土地の水がほぼ雨水と変わらない。

 ジョンや<バランタイン17年>のマスターブレンダー、ロバート・ヒックスのような専門家に言わせれば、そうしたなかにもそれぞれに特徴があるのだという。ロバートの場合、水道水の匂いを嗅いだだけで、塩素含有量のかすかな増加を100万分の1単位で感じ取り、水道局に電話したことも一度や二度ではない。

 大麦を生長させ、実らせる雨水に始まり、麦芽づくり、仕込み、発酵、蒸溜、そして熟成の終わったウイスキーをボトリングに適したアルコール濃度に薄める工程に至るまで、水はウイスキーづくりの全工程にかかわっている。蒸溜所の水選びの重要性はきわめて高いと言わねばならない。

 特定の仕込み水の個性が、ウイスキーに反映されることは間違いない。バランタイン社の技術者のひとりで、ラフロイグの業務部長であるデニス・ニコル Denis Nicol は、ガス・クロマトグラフィーを使ってアイラ産ウイスキーを検査したことがある。その結果、水の影響はきわめて顕著であることがわかった。

 「ウイスキーの芳香成分を含んだガスを分離して……」と彼は説明する。

 「一部をクロマトグラフィーに、一部を私の鼻孔に流し込む。そして40分間、各芳香成分のピークが現れるたびにこれを嗅ぎ続けた。その香りは素晴らしいものだったよ。予想されたヘザーやコケ類のほかに、湿地帯に生息するリンドウ科のミツガシワという植物からくるハッカの香りがあった。根を折るとフェノール系の匂いのするキショウブという植物の香りもね。いずれも水源近くに自然に生えているもので、それらが合わさって<ラフロイグ>などアイラ・モルトの味わいをつくり出しているわけだ」

 水のフレーバーは天然のもので、地域の生態、気候や地形に結びついたものとはいえ、厳重に監視する必要がある。ある酷暑の夏、<ラフロイグ>の仕込み水に沼の水草から藻の匂いが移り、ウイスキーに異質な香りがわずかに混じってしまったことがある。

 「グラスゴー大学の植物学科に相談し、ダムに中国産のソウギョを200匹放して水草を食べさせ、問題は解決した」とデニスは回想する。

 蒸溜所の水にまつわる彼のこの経験談からも、バラン タイン社がウイスキーづくりのあらゆる段階において、いかに水を重要視しているかがわかる。

 「水は本当に大切だ」とデニスは言う。

 「どんな水であろうとも、それを使ってつくられたウイスキーに独特の特徴を与えている」

 ジョン・ハミルトンの長い経験をもってしても、同じことが言えるようだ。

 「銘柄はあえて言わないが、ある有名ウイスキーには仕込み水からくるある種の苦みがある」と彼は言う。

 「アイラ島のウイスキーはほとんど薬のような後味がある。スペイサイド・モルトは舌にさっぱりした味わいだ。こうした要素はみな、間違いなく水の性格によるものだ」

地質と水質

 ウイスキーの産地が分かれているように、スコットランドの地質も大きくいくつかに分けられる。面白いことに、産地と地質のあいだには関連があって、それが各蒸溜所の水質を規定している。

 たとえば、中央部とローランドは水はけのよい砂岩が広範囲に広がっており、この砂岩がスポンジのような働きをして雨水を吸い込む。水は砂岩を通過する際に天然の重炭酸塩を取り込み、泉や川となって地表に湧き出る。

 一方、ハイランドを北上すると、地質は古成火山岩に変わっていく。

 「正確に言うと、礫状の玄武岩で水を吸い込むが、砂岩ほど水はけがよくない」とジョン・ハミルトンは説明する。

 「ハイランドの水は、ほとんど雨水がそのまま湧き出たものと言っていい。泉となって湧き出る時点ではきわめて雨水に近く、多少の不溶性の有機物を含むが、かなり硬度の低い軟水である」

 面白いことに、特徴豊かなモルトウイスキー産地としてハイランドと区別されるスペイサイドでも、独特な地質が見られる。この地域の場合は、先カンブリア時代の岩や海岸性の沖積土、つまり何百年もかけて河口に堆積した土、砂、礫からなる土と、水はけのよい古成赤砂岩が混在している。ある時期にこの地域が隆起した。つまりスペイサイドは海水に覆われていたのである。砂礫層は、現在、スキーリゾートになっているアヴィーモア Aviemore と同じくらい北方に及んでおり、スコットランドの大半が海に沈んでいたことがわかる。

 砂礫は水をよく通すため、最もピュアな水が得られる。そうした水が<ザ・グレンドロナック><ミルトンダフ> <グレンバーギー><バルブレア>など、<バランタイン17年>の主要原料モルトに個性を与えているのである。

 ストラスクライド大学の地質学部長を務める著名な地質学者、プリングル A. K. Pringle は、ある夏の休暇を返上して、ミルトンダフ蒸溜所の貴重な仕込み水が維持されているかどうかを調べるため、周辺の地質調査を行った。

 「80メートル以上掘っても、ただの一度も岩に当たらなかった」とADL蒸溜所の元所長、ビル・クレイグは回想する。

 「砂礫ばかりだったんだ。このことが、われわれのつくる製品に何らかの影響を与えていないはずがない」

 「砂礫がフィルターになっているという説は、かなり信憑性があると思う」とバルブレア蒸溜所所長、ジム・イェーツ Jim Yates も言う。

 「この辺りの原っぱはみなそうだし、蒸溜所にある私の菜園もそうだが、何千年も前に川で磨かれて丸くなった小石がたくさん見られる。蒸溜所に隣接したある畑ではあまりに砂利が多いので、土を掘り起こすと真っ白になるくらいだ」

 「うちの蒸溜所では小川から水を引いているが、大もとは地下水脈だと思う。この水には一定量のピートが混じっている。豪雨のあとには、周辺の畑が赤茶けて見えることもある。しかし、この水は実にピュアで、ピートがウイスキーにかすかなフレーバーを与え、独特の個性をつくりだしている」

 アイラ島は地質的にも他の地域と異なっている。複雑な岩層が入り交じり、場所ごとにウイスキーの性格が異なる。全体的には、この島の水は天然の雨水に近い。ただし、海藻を多く含んだピート層を通過しているので、薬のような味わいがある。地質が場所ごとに違うので水質も異なり、したがってウイスキーの“個性”も千変万化である。

 「たとえば<ブルーイックラディッヒ Bruichladdich>はアイラ・モルトのなかで、最もクセのないウイスキーだろう」とジョン・ハミルトンは考えている。

 「スコットランド最西端に立つ蒸溜所で、丘陵地帯にある地元の貯水池から水を引いている。このウイスキーの特徴は蒸溜所の場所と仕込みの水にあると私は確信している。島の南側で地質の異なる<ラフロイグ>は、まったく別のフレーバーをもっているからね」

 マスターブレンダーのロバート・ヒックスも同じ考えだ。

 「ウイスキーのフレーバーの一部は、水からきている可能性がある。一度でもアイラ島に行ってピートがかった水を見たことがある者なら、水の影響が製品にまで及ぶということが理解できるはずだ」

水占い

 一部の蒸溜所は近隣の丘陵に湧く、人目につかない泉から水を得ている。そして、十分な水を確保するために、川の流れを蒸溜所のほうへ引いている。

 だが、こうした人目につかない泉を、どうやって発見したのだろうか……。

 スコットランドには昔ながらの占い杖を使った水脈探査の長い歴史がある。占い杖が代々伝えられている場合も多い。水占い師は二股に分かれたハシバミの枝や金属製の棒を使って、あるいは手を差し出すだけで、岩の奥に隠れた水脈を探し当てることができる。

 ファイフシャーに住む水占い師で、スコットランド水占い協会の会員でもあるアリスター・バランタイン Alaistair Ballantine は、水探しの技術を祖父から教わった。

 「祖父は鯨骨を使って水占いを行っていたが、道具なしでも水脈を探すことができた」と彼は言う。

 「彼は家族全員に水占いをやらせてみたが、私は4歳のときからできるようになったんだ」

 かつて、水占い師はスコットランドの広い地域で活躍していたが、最近になって再び、その技能が見直されてきている。

 「仕事は家庭用の水から農業用灌漑用水、あるいは淡水を必要とする養殖業者まで、さまざまだ」とアリスターは言う。

 「何世紀も昔、蒸溜所の新しい水源を見つける際に、水占いが大きな役割を果たしたことは間違いない」

 蒸溜所が最初に建てられるとき、最大の条件は仕込みの水が安定して得られること、第2に蒸溜がやりやすいよう、水に有機物や無機物の不純物が少ないことだった。それ以外の要素も参考にした。地元の伝説に、純度が高くてウイスキーづくりに向く水が伝えられていることも多かった。

 スペイサイド地方の平野部は、スコットランドきっての穀倉地帯である。夏ともなれば豊かに実った大麦、小麦がさわさわと風に揺れる美しい田園地方の中心部にミルトンダフ蒸溜所はある。

 この地は、前にも述べたように、かつてのプラスカーデン修道院の近くに位置する。ハイランドでも有数の格式を誇ったこの修道院では、修道士たちが敷地内を流れるブラックバーンという小川の水で近在の良質大麦を麦芽とし、これを仕込んで上面発酵させたエールをつくっていた。その味わいは素晴らしく、スコットランド随一と讃えられていた。また、ブラックバーンは、修道士たちによって何世紀にもわたり聖なる川として崇められてきた。現在のミルトンダフ蒸溜所のシングルモルトも、このブラックバーンの水を仕込み水としてつくられている。この水をウイスキーづくりに採用した直接の動機となったのは、プラスカーデンの修道院長が川に入り、その水を祝福して“いのちの水”と呼んだという故事からだった。

 ビル・クレイグやジム・イェーツの話を総合すれば、この辺りの川は、増水するとピートが溶け込んで褐色に濁ることがわかる。だから黒い小川、ブラックバーンなのだ。また、この水が砂礫層を通したピュアな水であるからこそ、ウイスキーづくりに最適なのである。かの修道院長の卓見に改めて驚かされる。

 ハイランド北部のバルブレア蒸溜所は風景の崇高さではやや劣る。この辺りは、ウイスキーづくりが丘陵地帯に追いやられた当時、密造蒸溜所が集中していた地域である。

<バルブレア>の個性的でクリーミーな味わいは、蒸溜所から7キロ離れた小川、オールド・ドラッグから引いた清流に負うところが大きい。この川の道をこんな長さまで少しずつ、メートルごとに買い取って水源を確保した人々は、この水が特別な水であることを知っていたに違いない。

 <グレンバーギー>など、大半のスペイサイド・モルトが周辺の丘陵地帯に湧く泉から水を引いているのに対して、他の蒸溜所は湖から仕込み水を得ている。その一例が、ヘンプリッグス湖から水を引いている<プルトニー>である。この湖はブリテン島で最北端に位置する。

 ピュアな水が、透明に澄みきった水であるとは限らない。アイラ島の水は、黄色かったり茶色かったりする。これはピート層をくぐることでついた天然の色だ。飲めばとてもおいしい。ピートの成分が溶け込んだこの水こそが、個性豊かなアイラ・モルトを生み出しているのである。薄い金色の藁の色をした<アードベッグ>を生産する蒸溜所は、アイラ島南岸の荒涼たる土地に立つ。仕込み水は蒸溜所裏手の丘陵地帯にあるアリナンビースト Arinambeast とユイギデール Uigidale の2つの湖からとっている。

 <バランタイン17年>は完璧なバランスを生み出すため、多様なフレーバーをもつモルトウイスキーをスコットランド各地から選んでいるが、それらのフレーバーの形成には、それぞれの土地に特有の味わいの水が影響を及ぼしている。

水の再利用

 スコットランドには天然水がふんだんにあるが、しかし、各蒸溜所はそれを少しも無駄にしないよう心掛けている。ウイスキーはすべて天然の原料からつくられるため、環境を守るのは自分たちのためでもあるからだ。

 大麦を発芽させたり、ウォートやウォッシュをつくったり、蒸溜釜からの蒸気を凝縮するためのウォームを冷却させたりするのに使ったあとでさえ、水はさまざまな用途に再利用されている。蒸溜所の所長が栽培しているトマトの温室を温めたり、熱帯魚用の水にしたり、村の温水プールに使ったり、ウナギの養殖にまで使われている。

 ラフロイグ蒸溜所では、余剰の温水をポンプでくみ上げて海に流している。このため、蒸溜所周辺には多くの魚が集まり、アザラシも日光浴兼温水浴にやってくる。

 水はいつの時代も、場所によって性格の異なる神秘的な自然要素とみなされてきた。その個性が完成品のフレーバーに影響を与えるという点で、水とよく比較されるのは ポットスチルである。


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