The heather was blooming, the meadows were mawn,
Our lads gaed a-hunting ae day at the dawn
ヒースは咲いた、草刈りすんだ。
若者は狩りへ、ある朝早く。
"The Bonie Moor Hen" Robert Burns
<バランタイン17年>――あなたなら、この世界で最も偉大なウイスキーの物語をどう始めるだろうか。マスターブレンダーのロバート・ヒックス Robert Hicks に迷いはない。
「ノージングから始めよう」と言うと、テイスティング・グラスを2つ並べ、それぞれに<17年>をたっぷりと注ぎ込んだ。
私たちは暖房の効いた板張りのテイスティング・ルームで、タータン地のソファに座っている。ロバートは琥珀色のウイスキーを光にかざし、吟味を始めた。戸外では冬の先陣が木々の葉を黄色に染め、近くのローモンド Lomond 湖からは身を切るような冷たい風が吹きつけている。
ロバートは<バランタイン17年>のブーケを解き放つために少量の水を加え、水差しを私のほうに押し出して、あとに続くよう促した。そしてウイスキーを軽くノージングしながら、「アロマは幾重にも重なっているんだ。その一層一層を開いて、ウイスキーの核心へと入り込んでいくのが秘訣さ」と説明する。
彼に倣って嗅いでいくと、私にもオークとヘザーの甘い香りが感じ取れた。スモーキーフレーバーやかすかな磯の香りもそこここに現れる。そして森の香り、雨上がりの草の香り、野の花の香り……。
ロバートは目を閉じ、自作の豊かなるものに思いを馳せている。繊細で複雑なアロマの組み合わせは、われわれを原点へと誘い込んでやまない。それらアロマの源泉となった未開の原野へと……。
そのとき、どこから物語を始めるべきかが見えてきた。<バランタイン17年>は、土地土地のアロマとフレーバーの豪華な綴れ織りであり、正真正銘スコットランド Scotland の魂なのだ。山の清流、よく熟した大麦、ピートの煙、ヘザー……。このウイスキーはスコットランドの風景の味わいにあふれている。ロバートが自作のウイスキーの神秘性に思いをめぐらせているあいだに、私の思いはすべての発端となった地上最後の広大な原野へとさまよい出て行った。
「ピートという言葉を他の国の言葉に訳すのはむずかしい。よそには存在しないものだからね」とロバートは言う。
「最も近い表現をすれば“枯れた植物が集積・腐敗したもの”、言い換えれば、ごく若い段階の石炭なんだよ」
ハイランド Highlands地方や周辺の島々は、広大な土地がピート層で覆われている。地層は軟らかく、しかも湿っているので、細長い鍬で簡単に切り出すことができる。人々は夏にこれを掘り、地上に積み重ねて天日乾燥させ、秋から冬にかけて燃料として使用してきたのである。
ブリテン本島のピートは、アイラ Islay島のピートの刺激的な磯の香りとは対照的にヘザーとハリエニシダ gorse の香りがあり、強いて嗅ぎ分ける必要もないほどウイスキーによく溶け込んでいる。
「かすかなスモーキネスはピートからくるんだ」とロバートは言う。
「だけどスモーキネスという言葉は、ウイスキーをよく知らない人には適当な言葉とは言えないだろう。いがらっぽいタバコの煙を想像してしまうからね。むしろスコットランドで、そこはかとない煙を意味する“リーク”という言葉のほうがいい」
ヘザーは“ヒース”とも“リング ling”とも呼ばれる灌木“Calluna vulgaris”で、ウイスキーに明快な花の香りをもたらしている。この耐寒性の植物は、北ヨーロッパの僻地に広く分布し、なかでもハイランドの中央部から東部にかけての原野や湿地に多く見られる。この地域がスコットランド最高のモルトウイスキー産地であることも、おそらく偶然ではない。
ヘザーは岩がちなスコットランドの原野に彩りを添え、ウイスキーに独特のアロマを与える。ピート質の土地に育ち、激しい風雨や厳寒の気候を生き延びる強さをもっている。どんなに厳しい冬が襲ってきても、春になればまた芽吹く。ヘザーの花は白、ピンクなど変種の数がかなり多く、ハイランド中部の岩間には珍しい青い花も咲く。晩夏には土地ごとに異なる花が咲き乱れ、グレン(峡谷)や山の斜面が紫色に染まったように見える。
ハイランドの人々はヘザーの生長を促すため、定期的に野焼きを行う。萌え出た若芽は、スコットランドで最も重要な猟鳥とされる赤ライチョウの好物でもある。また何世紀も昔には、ヘザーの花は繊細な香りをもつエールの醸造に使われ、現在でも養蜂用花蜜として利用されている。
古来、この地味な小植物は編んで丈夫なロープにしたり、農家の屋根を葺いたり、敷き藁にしたり、ホウキの穂にしたり、手づくりのタータンの緑や黄の染料として使われてきた。また、今日でもブリテン島全域で、ヘザーの小枝は幸運を呼ぶ力強い“お守り”と信じられている。当然のことながら、スコットランド移民たちは用途の広いこの植物を故郷に残して行く気にはなれず、ヘザーを携えてアメリカに移り住んだ。そのヘザーが今、アメリカ各地に野生している。
ウイスキーの主原料が自然の恵みであるように<バランタイン17年>を生み出す技術や職人芸も、スコットランドの自然を抜きにして語ることはできない。
先代マスターブレンダーのジャック・ガウディー Jack Goudy が数年前、あるシングルモルトを入れたグラスにその伝説的な鼻を突っ込んで、眉をひそめたことがある。嗅いだことのないアロマが混じっている。ウイスキーに草のような香りは珍しくないが、この匂いはちょっと変だというのである。
ジャックは再びグラスのウイスキー<プルトニー Pulteney>の香りを嗅ぎ、そして、光にかざした。その繊細なウイスキーは明るい黄金色に輝き、ほとんど緑に近い色彩を帯びていた。このこと自体に問題はない。ほのかな甘みにピートの香り、海岸地方特有の潮の香りが混じっている。まさしくブリテン島北部、プルトニー蒸溜所のウイスキーの特徴をきちんとそなえている。
それでも、どこか違う。しかもジャックは、その香りの正体についてある確信をもっていた。彼は電話を取って、当時バランタイン社の社長であったトム・スコット Tom Scott にこのことを報告した。
トムもジャック同様、北海の沿岸にそそり立つ石灰壁のその蒸溜所の品質管理がいかに厳格かをよく知っている。だからとても信じられない。
「ジャック」と彼は強い口調で言った。
「<プルトニー>に野の花が入り込むなんて、あり得ないことだ」
「悪いが、それがあり得るんだ」とジャックは言い、スコットランドではもはや忘れられかけている、ある植物の名を告げた。
熱烈な園芸ファンのトムは笑いとばした。ウイスキーに花の香りは珍しくないが、いくらなんでもサクラソウはあり得ない。“プリムラ・スコティカ Primula Scotica”と呼ばれるその花は希少種で、目にしなくなって久しい。まして、それがウイスキーの中に混じることなどあり得ない。
ジャックはそのサンプル・ボトルを他のものとは分けて、仕事机の上に置いた。スコットランド随一のブレンダー、そしてウイスキー業界の長老として、几帳面な彼はこの謎を未解決のまま放置できなかった。
ジャックの頭の中には、何千というファイルボックスが並んだ記憶の貯蔵庫がある。各ボックスには、さまざまな香りの名前がていねいに書き込まれている。そのなかには“あり得ない香り”というボックスすらある。
ただちに調査チームが、岩がちな岬が北海の灰色の海原に突き出すウィック Wick に派遣された。しかし、蒸溜所周辺にサクラソウに少しでも似た植物は見当たらなかった。
ジャックの同僚で、ウイスキーの知識にかけては“歩く百科事典”と呼ばれるヘクター・マクレナン Hector MacLennan はこの事件の顛末を語るとき、満面に笑みを浮かべずにはいられない。
「そこで調査チームは、プルトニー蒸溜所の水源を調べることにしたんだ」と回想する。
「そして、ヘンプリッグス Hempriggs 湖から蒸溜所までの水路で、その珍しいサクラソウが岸に群生しているのを見つけた。それ以後、学術的にも貴重なものだということで、地元の環境保護団体が周辺にフェンスを張りめぐらせることになったんだよ」
「ウイスキーのパレート(味覚)の基本は水だ。軟質の水もあれば、硬質の水もある。ピート香のある水もあれば、水晶のように澄みきった水もある」とヘクターは言う。
「さらにモルティング(大麦の発芽工程)にピートを使うことによる辛みもあれば、大麦やトウモロコシからくる甘みや酵母からくる果実香、樽由来のオーク香があり、軽いキスのようなシェリー香、あるいは海風の香りもある」
スコットランドの特徴を理解するということは、その自然に近づき、それを構成する豊かな色彩やさまざまな香りに親しむということだ。それらの特質が高級ウイスキーの製造と熟成に反映しているのであり、<バランタイン17年>にはスコットランドのエッセンスが凝縮されているのだ。
ウイスキーという、古い歴史をもつこの“神秘”を説き明かすために、バランタイン社の広報担当役員であるヘクター・マクレナンは一連の香りのサンプルを考案した。
このサンプルを使って、<バランタイン17年>とスコットランドのユニークな地形との結びつきを説明しようというわけである。
「高級なブレンデッド・ウイスキーには、文字どおり何百種もの香りが含まれている」 と彼は説明する。
「嗅覚神経はそのうちのいくつかを抜き取って、ウイスキーとそれがつくられた自然環境とを的確に結びつける」
ヘクターのサンプルキットに含まれる香りは、スコットランドの原野と<バランタイン17年>に共通して存在するものばかりである。
「山岳性のヘザー、ピート、木材が焦げたときの香ばしい匂い、ピートの煙、匂い忍冬 honeysuckle の花、ヴァニラ、松、シナモン、フルーツケーキ、木材を焼く煙、木炭、刈りたての草、海藻、森、海岸、各種ハーブ、アーモンド、チョコレートなどがある」
「チョコレートだって?」
「チョコレートの香りと舌触りは<バランタイン17年>の原料となる特定のウイスキーからくるのではなく、ブレンデッド・ウイスキーとして混ぜ合わされたときに現れるものなんだ」と言ってヘクターは微笑む。
「優れたウイスキーには謎が多いものさ」
<バランタイン17年>に使う水や大麦がピュアであることは非常に大切なことだ。慎重かつ経験豊富なスタッフが参加しているおかげで、<バランタイン17年>は世界で最高の品質を維持することができるのである。
しかし、決定的な要素はあくまでも“自然”である。
<バランタイン17年>の優秀なクラフトマンたちがその自然の微妙な変化に対応することによって、高い品質を保っているのである。
多くのスコットランド人と同じく、ヘクターも釣りが大好きだ。森の川に入り、花崗岩の上を走るせせらぎに耳を傾けているとき、天国にいるような気分になる。
「<17年>から感じ取れる香りの多くは、釣りをしているときに川から漂ってくる匂いと似ている」と彼は説明する。
「それは森の奥から漂ってくる木の香りなんだ。私が好きな香りのひとつは雨上がりの濡れたカバノキの匂い。こうした森の香気はとても重要なんだ。たとえば、トーモア Tormore 蒸溜所の貯蔵庫はすっぽりと森で覆われている。カバノキや松、そのほか、あらゆる種類の落葉樹の森だ。木の香りは樽に使われているオーク材からしみ出すだけではない。長い時間をかけて、森の香気が貯蔵中の樽にしみ込み、そのウイスキーの香りをつくっているんだよ」
つまり<バランタイン17年>の素晴らしいフレーバーを生み出す鍵は、自然の均衡と調和への深い理解にある。<17年>の主要モルト<アードベッグ Ardbeg >の場合、ピートを掘り出すときに、地表に近い部分には目もくれない。切り出し職人たちは昔から、もっと深くの圧縮された7000年前のピート層だけを使用してきた。だから<アードベッグ>の濃密なスモーキー香は、この古き佳き特別なピートからの贈り物なのである。
スコットランドは都市も多く、産業も活発で、生気あふれる500万の人口を擁しているが、それでも、依然として大部分は原野である。世界最高のウイスキーの故郷であるスコットランドの面積は7万9000平方キロに及び、生態学者によれば、これだけ広大な原野はヨーロッパに残された最後のものだという。
スコットランド南端のダンフリース Dumfries から北部のサーソ Thurso までは、エディンバラ Edinburgh ―ロンドン間と同じくらいの距離がある。登山家でも何日も迷ってしまうほどの広大なこの土地には未開の地が多く、かつて狩猟によって絶滅に瀕したオオカミがよみがえり、再び繁殖を始めているほどだ。そんな大自然への郷愁に誘われ、多くの人々が静けさと孤独を求めてこの地を訪れ、釣り、鹿狩り、登山、スキーなどを楽しんでいる。
5億年前に形成されたハイランド地方は、地球最古の岩層をもつ地域のひとつに数えられる。とはいっても、標高は決して高いほうではない。ハイランドの65%は標高120メートル以上ではあるが、600メートル以上の地域は6%にすぎない。
6000万年前、スコットランド最後の活火山が鎮まり、あとにはドラマチックな風景が残された。それから遥かのち、今から1万5000年ほど前に、山の頂は氷河の移動によって削り取られ、氷河時代の融氷と結氷の繰り返しによって山並みは丸くなっていった。
氷河の移動は一方で、スコットランド沿岸に700もの島々を誕生させた。内陸では雪解け水によって花崗岩の地盤が削られ、深いグレンをつくり、そこにヘザーや疎林が生育した。さらに氷河が後退する際には水を湛えた釜状の窪地ができ、のちにスコットランドの有名なロッホ(湖)群となっていく。
何万年ものあいだに、息を呑むような美しさをもつ荒涼たる大地が形成された。氷河は徐々に解け、新しい地表と水面が現れた。後退する氷河のあとを追うようにスコッツ・パイン(松)やシラカバなどの種子が風に乗って広がり、広大な森林地帯をつくりだしていった。クマが移入して森の奥深くに巣をつくり、野猪が鼻で地面を掘ってドングリを探し、赤シカやリスがあとに続いた。
何千年ものあいだ、うっそうとした森林がスコットランドの60%を覆っていた。それらの森は、一部は初期のクラン(氏族)の集落形成によって、あるいは土地の浸食作用を受けたり、畜産・農業のために開墾されるなどして、しだいに姿を消していった。中世にはスコットランドの原生林の80%が姿を消してしまう。たとえば1250年には、メルローズ Melrose 修道院の修道士が羊2万2000頭の飼育のために森林を開墾している。
1785〜1850年にハイランド地方と周辺諸島で行われた“クリアランス(森林伐採)”により、森はさらに減少し続けた。何万人ものクランの成員が家を追われ、跡地は大規模な牧羊地とされた。地主が羊を飼うことで土地からの収益を最大限に高め、収入を増やそうとしたためである。
それでも今日、スコットランドの一部には森林地帯が広がっている。山や湖、グレンがひしめき合い、ハイランドの風景に荒涼とした、しかし変化に富んだ外観を与えている。耐寒性の樹木やヘザーが繁茂し、清らかな流れが花崗岩の上に横たわるピートの分厚い地層を流れ、山に囲まれた平野は理想的な大麦栽培地を形成している。
世界最高級のウイスキーを生み出すための条件が、ここには完璧にそろっているのである。
だが、スコットランドでは険しい地形と同様、気候も陰鬱さと激しさをそなえている。夏にはピートを燃やす煙がのどかに立ちのぼるが、冬には雪が山頂から横殴りに吹きつける。高地地方のスポーツの祭典ハイランド・ゲームの発祥地であるブレーマー Braemar では、最低気温がマイナス27度を記録している。あまりの寒さで、湖から引き揚げられた魚が、網の中でコチコチに凍ってしまうほどだ。
グラスゴー Glasgow 周辺は竜巻が多く、何千棟もの家屋が破壊されることもある。その北西の古都ダンバートン Dumbarton では、1日の降雨量が250ミリに達することもある。ストラスクライド Strathclyde のロウザー・ヒル Lowther Hill では、吹雪が50時間ぶっ続けで吹き荒れ、時速198キロの強風が記録されている。
「スコットランドで最高のウイスキーが生み出される理由のひとつは、スコットランド産の大麦が発芽したときのジアスターゼなどの酵素含有量が高いことだ」とヘクター・マクレナンは自慢する。
「北国の夏は昼が長く、いつまでも暗くならない。その日照によってモルトの中に高濃度のジアスターゼが形成される。自然の恵みの最良の部分を、いつ、どのように収穫するかを理解しているからこそ<バランタイン17年>は“ザ・スコッチ”と呼ばれているのさ」
スコッチ・ウイスキーに反映されているスコットランド特有の色彩は、スコットランド人の性格にも影響を与えているのではないだろうか。地中海の強烈な光と影が情感豊かな地中海人を育んだと言われるように、ヨーロッパ最後の原野のパステルカラーは、静かな目的意識と、自分たちの業績に誇りをもつスコットランド人を育んだのである。
そして、変わりやすい自然の猛威は、スコットランド人に強烈な生存本能を植えつけた。そうした苛酷な自然を何世紀も生き抜くことで不屈の精神と忍耐力を身につけ、スコットランドはさまざまな時代に適応してきた。工業化を経て、20世紀のテクノロジーの時代に入っても、自然への愛着と辛抱強さは、今なお<バランタイン17年>を生み出す職人芸の中核として生き続けている。
自然の匂いを嗅ぎ分ける先代マスターブレンダーのジャック・ガウディーの驚くべき能力は、現在のマスターブレンダーであるロバート・ヒックスや、大麦を選別・栽培したり、水の純粋さを守ったり、技の限りを尽くして材木を加工し樽をつくりだしている、それぞれの専門家たちの才能のなかに受け継がれているのだ。