Liqueur & Cocktail

カクテルレシピ

オリンピック Recipe Olympic

クルボアジェ
V.S.O.P
1/3
オレンジキュラソー 1/3
オレンジジュース 1/3
シェーク/カクテルグラス
シェークして、グラスに注ぐ

タイタニックの姉妹船オリンピック号

飛行機の登場以前、豪華客船が世界を結んでいた。人々の移動手段であるだけでなく隔離された長旅を飽きさせることのないエンターテインメント的な要素も満たし、もちろん物流や情報伝達の役割も担っていた。そんななかカクテルもまた豪華客船の恩恵を受けた嗜好品である。

客船のバーでミリオネアたちに愛されたカクテルレシピが世界の港から港へと伝わっていく。それが内陸の大都市のバーへと知られ、好評を得るとスタンダードの仲間入りとなった。

20世紀初頭、大西洋を駆けるオリンピック級と呼ばれる超大型オーシャンライナーが建造された。これはイギリスのホワイト・スター・ライン社が建造したもので、オリンピック号、タイタニック号、そしてブリタニック号(当初はジャイガンティック号)の巨大な三大姉妹豪華客船である。

不沈伝説がありながら、なんと処女航海の1912年4月15日(4月10日航海開始)に沈没したタイタニック号の不運により神話は崩れ、そちらの事故のほうが有名になってしまった。

実は当時は最初に就航したオリンピック号の人気が高かったのである。3隻のうち、いち早く建造(1911年6月14日就航)されており、船上にプールを設置したはじめての客船であり、大きな話題となっていた。

ところが2番目のタイタニック号が歴史的な事故を起こし、最後に建造されたブリタニック号(1915年12月23日就航)は1914年に勃発した第一次世界大戦のために病院船として徴用される。そして1916年11月21日にエーゲ海でドイツUボートが仕掛けた機雷に接触して沈没してしまう。

もちろんオリンピック号も1915年9月からイギリス海軍の輸送船として徴用されている。大砲を取り付けられ、主に東地中海での部隊輸送の任務についている。1917年のアメリカ参戦時には迷彩塗装に加え、より強力な大砲も装備されてアメリカからイギリスへの大量の部隊を輸送した。

1918年5月にはドイツのUボートの雷撃を受ける。船長バートラム・フォックス・ヘイズはこれを回避すると、舳先をUボートに向けて巨大な船体のオリンピック号を体当たりさせ、Uボートを破壊、沈没させてしまう。

第一次世界大戦終結後(1918年11月11日)には再び客船として活躍することとなったが、結局は3隻のうちオリンピック号だけが長く栄光を保ちつづけた。1935年に引退するまで、Uボートとの一騎打ちの武勇伝もあり多くのファンに親しまれた客船だった。

夏季オリンピックを無視した論調

さて「オリンピック」というカクテルがある。今年は第33回夏季オリンピックがパリで開催されるが、文献の多くに1900年開催第2回大会、あるいは1924年開催第8回大会の夏季パリオリンピック時に創作されたカクテルと著されている。なんだかはっきりしない。

第8回大会時にホテル・リッツ・パリのヘッドバーテンダー、フランク・マイヤー(1884-1947)の創作説が有力視されている。

これはハリーズ・ニューヨーク・バー(1923年創業)のオーナーバーテンダー、ハリー・マッケルホーン(1890-1958)が1927年に刊行したカクテルブック『Barflies and Cocktail』にマイヤー作の記載があるからだ。

ところがこういう記録がありながら、何故かフランク・マイヤーにはまったく触れることなく、豪華客船オリンピック号からネーミングされたカクテルと解説された資料も見られる不思議なカクテルである。

見解としては1922年頃にロンドンで人気のあったクラブ、Ciro's(シローズ/ハリーズ・ニューヨーク・バーを立ち上げる前のマッケルホーンもスタッフであった)でオリンピック号をイメージして創られたというものだ。そして、カクテル『サイドカー』(ロンドンのバックスクラブで誕生説他、諸説)の姉妹品的な論調で語られている。

レシピから見ると、「サイドカー」はブランデー、ホワイトキュラソー、レモンジュースを2 : 1 : 1。「オリンピック」はブランデー、オレンジキュラソー、オレンジジュースを1 : 1 : 1の配合比となる。

ブランデーを「クルボアジェV.S.O.P.」にして「オリンピック」を味わってみた。「サイドカー」よりもボリューム感、オレンジの果実味にあふれている。すべて同量の配合ながら清涼感もある。思いの外、「クルボアジェ」と「オレンジキュラソー」の相性がよく、驚かされもした。

とても美味しく、好感のもてる味わいである。誕生説は気になるが、美味しければいいじゃんか、ではないか。それでも気になる人は多いだろう。

マッケルホーンのカクテルブックにネーミングの由来が書かれていない。また1936 年に出版されたマイヤーの『The Artistry of Mixing Drinks』のレシピは2 : 1 : 1になっており、さらにはネーミングの由来の記載もない。

どちらも五輪への言及がないのだ。わたしの場合は船が好きだから、オリンピック号から名付けられたカクテルでいいじゃんか、の立場になる。

納得はしていただけないだろうが、古いカクテル誕生説はアメリカ禁酒法時代(1920-1933)に限らず、声高に叫んだ者勝ちみたいなところがある。加えて現代人が当時のカクテルブックを神格化しすぎている感は否めない。

ハリー・マッケルホーン、フランク・マイヤー、それにロンドのサヴォイ・ホテルのハリー・クラドックなど、彼らは禁酒法前のアメリカで修業したバーテンダーであり、また禁酒法から逃れたアメリカ人のバーテンダーだけでなくアメリカ人の飲み手がヨーロッパにたくさん集まった時代でもあった。そして禁酒法前のヨーロッパは第一次世界大戦で荒廃していた。混沌としていたはずであり、その流れを見つめた歴史観が重要である。

やたら探りだすよりも、知らぬが仏、のほうが幸せなのかもしれない。

イラスト・題字 大崎吉之
撮影 児玉晴希
カクテル 新橋清(サンルーカル・バー/東京・神楽坂)

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クルボアジェ V.S.O.P
クルボアジェ V.S.O.P

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