2024年はオリンピックイヤーである。パリでオリンピックが開催されるが、ここしばらく採用されている新種目には驚かされてばかりいる。
2020東京大会(2021年開催)でも新種目がいくつか採用された。なかでもサーフィン、スケートボードの登場は年配者にとっては衝撃であったと言わざるを得ない。サーフィンは昔から知られたスポーツではあるが、時代の変革を感じた者はわたしだけではなかったことだろう。
1970年代に青春時代を過ごした者たちにとっては、スケートボードがまさかオリンピック種目になるとは想像すらできなかったはずだ。そしてなんとパリでは新種目としてブレイキンが登場する。
70年代から80年代にかけての若者たちはヒップホップの登場を体感した。ニューヨークのブロンクスが発祥といわれ、音楽(DJ)、ダンス、ファッションが絡み合った、なんとなく不良性が香る気になるカルチャーであった。
80年代前半にはサウスブロンクスのアフリカ系やラテン系のアメリカ人の若者たちが発展させたストリートダンス、ブレイクダンス(ブレイキン)が世界的に知られるようになる。こうした流れのなかで、わたしはブロンクスという地区そのものが気になっていたのである。
治安の悪さが伝えられる一方で、MLBのニューヨーク・ヤンキースのホームスタジアムがある場所でもある。すでに禁酒法時代(1920-1933)にはスピークィージー(もぐり酒場)が盛況で、酒の密売人とギャングがはびこり、犯罪率の高い地区になっていたことも知る。
1983年、20代半ばだったわたしはこうしたさまざまな情報に触れながら映画『ワイルド・スタイル』を観た。
サウスブロンクスを舞台にグラフィティアーティスト、DJ、ダンサー、ラッパーなどが多数出演したドキュメンタリータッチの作品で、ヒップホップのムーブメントを鮮明に描き出していた。
正直にいえば、それまで気になりながらもヒップホップの世界をよく理解していなかった。この映画を観て背景がわかったのである。
そしてヒップホップ文化はストリートギャングの抗争とも関係があることを知る。銃や暴力に頼ることなく抗争を無血に終わらせるために、ブレイクダンスやラップで優劣を競わせたとされる。平和、自由、平等を代弁するものであった。そのバトルが、ブレイキンの発展へとつながったのである。
さらには10年ほど経ち、映画『ブロンクス物語』(アメリカ公開1993、日本公開1994)を観る。こちらは1960年代のブロンクスを描いた作品である。
監督はロバート・デ・ニーロ。彼はマフィアのボスに憧れる主人公の少年の父親役として出演もしている。登場人物の立場の違いはあるが、それぞれが懸命に捧げる人間愛を描いた作品としてこころに焼きついている。切なくも温かい素敵な物語だった。