素敵な味わいながら、またまた不可解な名前のカクテルを登場させる。前回は「ビーズ・ニーズ」、“ハチの膝”だった。今回はなんと「ヘア・オブ・ザ・ドッグ」、“犬の毛”である。
とはいえ、“ハチの膝”はナンセンスなワードから流行語としてエクセレントの意味に転じたものだった。単純に言葉遊びの世界である。
しかしながら“犬の毛”は古くからの言い伝え、迷信が慣用句として見事に定着したものだ。それもストレートに酒の世界と結びついている。
連載134回で「コープス・リバイバー」(死者をよみがえらせる)という恐ろしい名前のカクテルを紹介した。これはpic me up(気つけ・元気回復)と呼ばれる迎え酒として知られている。そして今回ご紹介するこの「ヘア・オブ・ザ・ドッグ」は、なんと迎え酒そのものを意味する慣用句になっている。
何故に“犬の毛”が迎え酒なのか。
元々はtake a hair of the dog that bit youという使われ方だったものが短縮されたようだ。使われはじめたのはかなり古く、16世紀半ばのスコットランドの文献に登場しているらしい。
狂犬病は死に至る。ワクチン接種がおこなわれている現代の日本で耳にすることは滅多にないが、狂犬病ウイルスに感染した犬や猫、コウモリなどの野生動物に噛まれて発症する。
その昔のスコットランドでは、犬に噛まれたら、その犬の毛を取って揉んで傷口に当てると治る、と信じられていたらしい。
これがなんと酒に転じられてしまったのだ。hangover(二日酔い)のときにはhair of the dogをやればいい、となったのだ。
日本では、毒を以て(もって)毒を制す、という言葉がよく使われる。悪を滅ぼすために、他の悪を用いることを言う。
同じような使われ方として、楔(くさび)を以て楔を抜く、がある。楔を抜くために、別の楔を脇に打ち込んで緩めて抜くことらしいのだが、こちらは喜ばしい結果となる。
どちらかといえば、盗人の番には盗人を使え、に近いか。番をした盗人が役目を終えた後に忍び込んできたら、と考えたら終わりがないような。
酒でダメージを受けたら、やっぱり酒だぜ、hair of the dogをやんなきゃダメじゃん、はまったくもって喜ばしくない。
この迷信はスコティッシュの信念のように生きつづけ、19世紀後半のイギリスの慣用句や寓話に関する書籍にも掲載されているという。こんなふうに何百年と語られつづけたなら、英語圏に広まり、迎え酒の慣用句として定着してしまうのは当然のことだろう。
つまり、「コープス・リバーバー」もhair of the dogのジャンルのひとつといえるのである。そしてまた、人それぞれにhair of the dogがあり、わたしは「ブラッディ・メアリー」がいい、わたしはライトなビールかな、なんて会話を欧米人たちは交わしたりするのだ。
読者の皆さんはそんな会話や行為はおやめいただきたい。適正飲酒をこころがけて、hangoverとならないように気をつけていただきたい。