1979年、ルパート・ホルムズが歌う「エスケープ」(Escape)という曲が世にでる。発売当初の売れ行きはイマイチだったが、カクテル「ピニャ・コラーダ」の歌としての認知があることをレコード会社が知り、曲の作者でもあるホルムズを説得して“The Piña Colada Song”と副題を付けてみると大ヒットにつながった。
歌詞は倦怠期のカップルを描いたものだ。夜、男は彼女が寝ているベッドの脇で新聞を読む。すると個人広告欄の恋人募集記事に目が止まる。
ちゃんとした人で、もしも「ピニャ・コラーダ」が好きならば、連絡ください。現状から抜けだしましょう、と女性の想いが綴られていた。
彼女との長い生活に飽いてしまっていた男はすぐに、僕は「ピニャ・コラーダ」が好きです、逃避行のプランを立てましょう、と連絡し、待ち合わせの店を決める。
当日、男は胸を躍らせながら店で待っていると、現れたのはなんと自分の彼女だった。キミも「ピニャ・コラーダ」が好きだったのか、知らなかったよ、やっぱりボクにはキミしかいない、というオチである。
曲がヒットした頃、わたしは学生だったが、ノリのいいアメリカン・ポップスそのものといった曲調に関心を示さなかったように思う。さらにいえるのは「ピニャ・コラーダ」というカクテルを気に留めようともしなかった、というよりは日本では一般には知られていなかったのである。
アメリカでは1970年代にポピュラーなカクテルになっていたのだが、日本ではなかなかつくれない事情があった。
カクテル名の「ピニャ・コラーダ」(スペイン語)とは“裏ごししたパイナップル”のことらしい。使用する材料はホワイトラム、パイナップルジュース、ココナッツミルクの3種。誰もがミルキーでフルーティーな味わいをイメージできるはずだ。
しかしながら70年代の日本では味わいをイメージできても肝心のココナッツミルクを入手するのが難しく、つくれない状況にあった。またフレッシュなパイナップルは流通の問題があり、状態としては現在のように喜ばしいものではなく、パイナップルは缶詰という時代だった。
ココナッツミルクが日本に流通しはじめたのは1980年代になってからである。海外旅行ブームが到来し、70年代後半から南の島へのツアーが人気となり、そこからトロピカルブームへとつながったことが要因となっている。
このカクテルをわたしがはじめて飲んだのは、たしか1984年の夏だった記憶がある。飲んだ印象は、これはビーチのバーで飲むもので、都会のバーで飲んでも美味しくはない、というものだった。
いま思えば、当時のバーテンダーの方々はかなり苦心されていたのではなかろうか。やはり無理があったはずだ。ココナッツミルクが手に入るようになっても、パイナップルは現在に比べるとイマイチだったはずだ。
カットしたパイナップルを潰してジュースを得るにしても、好ましい味わいではなかっただろう。そして、ジュースとは名ばかりの市販の果汁数十%のものや、それこそ缶詰のパイナップルの汁などを加えることで上手く味の調整をしていたのではなかろうか。
「エスケープ」という曲に登場するカクテルが飲みたいという人、海外の南の島で飲んだ経験からオーダーする人など、80年代にはいたのである。
いまは台湾産や沖縄産のとても良質なパイナップルが使える。都会のバーで飲んでも、たちまちにしてトロピカルな気分に浸れる。