火照った身体をクールダウンさせるには、フローズンスタイルのカクテルがふさわしい。シャーベット状の可愛らしいカクテルは、見た目にも涼を呼ぶ。今回はその代表格、「フローズン・ダイキリ」の話をしよう。
まずはラムベースのスタンダードカクテルとして名高い「ダイキリ」の話をしなくてはいけない。1896年、キューバ第二の都市、サンティアーゴ・デ・クーバのヴィーナス・ホテルのバーで命名されたといわれている。
材料のホワイトラム、ライムジュース、砂糖はカリブ海地域の名産品で、すべて地元産の素晴らしいレシピである。サンティアーゴ近郊にあったダイキリ鉱山の現地労働者たちはこれを好んで飲んでいた。そしてアメリカから派遣されていた鉱山技師、ジェニングス・コックスも大いに気に入り、カクテル「ダイキリ」の命名者となったらしい。
推察に過ぎないが、鉱山関係者たちは暑さしのぎに自分好みの配合のビルドで、つまり想い想いのスタイルで味わっていた。それを技師たちの拠点となっていたホテルのバーでシェークされたことにより、カクテルとしての洗練をみたのであろう。
というのも、これまで何度も述べてきているが、ラムとライムジュースのミックスはイギリス海軍が18世紀には常飲していたし、将校たちはジンとライムジュースだった。また劣化を防ぐためにライムジュースに砂糖を加えてもいた。そしてスピリッツにライムジュースのミックスは19世紀後半にはすでにスタンダードだった。決して目新しいレシピではなかったはずだ。
シェークされてカクテルグラスに注がれてフォーマルな感覚にドレスアップされ、しかも「ダイキリ」と命名されたことにより人気が高まり、世界的カクテルになった、ということであろう。ジンベースの「ギムレット」と同じような進化を辿ったといえる。
ちなみにサンティアーゴ・デ・クーバは音楽の都としても知られている。サルサのルーツはこの街にある。
さてその「ダイキリ」。サンティアーゴから遠く西へ、約880km離れた首都ハバナで、フローズンというクールなアレンジが加えられた。
ハバナに「ラ・フロリディータ」という世界的に有名なレストラン・バーがある。1817年創業というから200年以上の歴史を誇る店だ。スペイン統治時代にはじまり、独立とアメリカとの親密な時代、そして革命からカストロ政権へと、さまざまな政治的激動を乗り越えてきた。現在、観光客が世界中から訪れて賑わいつづけている。
涼感あふれるフローズンスタイルは、1910年代はじめにはこの店のバーテンダー、コンスタンテ・リヴァイラグラによってつくられていたようだ。
コンスタンテはソーサー型シャンパングラスにクラッシュド・アイスを詰め、その上からシェークした「ダイキリ」を注いでいたらしい。また彼はこれを「フローズン・ダイキリ」と呼んでいた。