父の日は6月第3日曜日。アメリカで制定されたものだが、日本はもちろん多くの国々が準じている。しかしながらこの記念日が異なる国もある。
スペイン、イタリアなどカトリック系の国では“聖ヨセフの日”3月19日が父の日。ロシアでは退役軍人や軍人を感謝する“祖国防衛の日”の2月23日に当てられる。台湾の父の日は8月8日。パパだもんね。発音が似ているらしく、何よりもわかりやすい。
ご存知の方も多かろうが、6月第3日曜日というのはアメリカ・ワシントン州のひとりのご婦人の行動によって生まれたものだ。
それは1909年にはじまる。ソノラ・スマート・ドッド(1882-1978)というご婦人が、母の日を祝うんだったら、お父さんに感謝する日もつくってください、と牧師協会に嘆願したのが事の起こり。
ちなみにアメリカでは1907年5月12日に、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を偲んで教会で追悼式をおこない、白いカーネーションを捧げた。ここから母の日制定の活動がはじまっている。
さて、ソノラ婦人。彼女は16歳のときに母を病気で亡くした。その後、彼女の父は男手一つで6人の子供たちを育てながら働きつづけた。彼女は末っ子だったが立派に成人することができた。だから父の日のお祝いだってしなきゃ、という気持ちが強く湧き起こったのである。
1910年6月19日、最初の祝典がワシントン州スポーケンでおこなわれている。6月が父の日なのは、ソノラ婦人のお父さんの誕生月だったからである。そして祝典の際、父が健在の者は赤いバラ、亡くしている者は白いバラを身につけたと伝わっている。
ところで、「ソノラ」(Sonora)というカクテルがある。前回エッセイで紹介した「ブルドッグ」同様、カクテルブックで名前は知っていたが飲んだことはなかった。ソノラ婦人と同じ綴りである。
カクテルブックの解説には、“音”とか“響”をいうスペイン語、と一様に述べられている。婦人とは関係ないようだ。たしかに、音楽関係でSonoraというワードが使われている場合、大概“心地よい響”とか“響のよい”といった解説がなされている。
一方、メキシコやアメリカにはソノラという地名がいくつかある。アメリカでは地名説もあり、わたしはこちらのほうを推したい。
とはいえ、レシピを見ると、いまひとつ気持ちが動かない。材料がうまく響き合っていないような。それでも、今年の父の日を前にして、ソノラ婦人と同じ名のカクテルを試してみようと思い立った。
では、カクテル「ソノラ」のレシピ。ホワイトラムとアップルブランデー(カルヴァドス)を1対1の同量。そしてアプリコットリキュール(あんずのリキュール)を2ダッシュにレモンジュース1ダッシュ加えてシェークする。
飲んでみると、連載第46回「ホール・イン・ワン」、第60回「シカゴ」と同様、2素材のダッシュという分量がやはり中途半端なのだ。ぼんやりとした味わい。心地よく響いてこない。甘みや酸味のインパクトが弱い。
配分を替えて、ホワイトラム2/6、アップルブランデー2/6、アプリコットリキュール1/6、レモンジュース1/6という2:2:1:1の比率にアレンジしてみた。それなりにコクは生まれたが、口中を心地よく滑る美味しさまでは達しない。シェークよりもステアのほうが幾分好ましい。
このカクテルについて語っている文献は少ない。まだ探り切れていないのだが、どうやらかつてはアップルブランデーではなく、アップルジャックというアメリカの古いりんご酒が使われていたようだ。
アップルジャックのはじまりは植民地時代のニュージャージー。冬期にシードル(りんごを発酵してつくるアルコール飲料)を樽に入れて屋外に放置し、たとえば朝になって凍結した水分(氷)を取り除く。これを何度か繰り返すことで、外気温で凍結することのないアルコールが次第に濃縮され、高アルコール度数へと上昇をもたらす。
こうした方法でつくられていたが、現在はアップルブランデーとニュートラルスピリッツのミックスでつくられ、生産量は極めて少ない。
連載第24回で「カルヴァドス ブラー グランソラージュ」について語り、カクテル「ジャック・ローズ」を紹介した。実は「ジャック・ローズ」は本来アップルジャックでつくられていたが、カルヴァドスに替えることで味わいが洗練され、世界的なカクテルになった経緯がある。
おそらく「ソノラ」も同じ道を辿ったものではなかろうか。ただし、「ジャック・ローズ」のような洗練には至らず、マイナーなままレシピだけが伝えられたのではなかろうか。
「ソノラ」は1920年代に生まれたのではないか、と書かれた文献がある。もしそうだとしたら、禁酒法時代のアメリカでの酒質はどんなものであったのか。アップルジャックを含め、荒々しい酒質をミックスすることでうまく中和でき、それなりにまとまった味わいだったのかもしれない。
カクテルを探っていくと、稀にこういうレシピに出くわす。さまざまに想像が湧き、味わうこととは異なる楽しみがある。
さて、すでに報道でご存知の方もたくさんいらっしゃるはずである。
2021年5月10日、日本のカクテル史に燦然と輝く「雪国」を創作された井山計一氏が逝去された。享年95。連載第109回でお世話になったばかりであった。
6月20日、今年の父の日、世の中がもしもバーに行ける状況となっていたならば、名作カクテルの父、井山氏を偲んで、「雪国」を味わっていただけないだろうか。そして末長く愛し、飲みつづけていただきたい。