ラムという蒸溜酒は、英国海軍と深い関わりがある。樽で長く寝かせるダークラムは、彼らが生んだともいえる。ラム酒の誕生や語源はこのサイト内にある『スピリッツ入門』をご一読いただくとして、今回は英国海軍の酒として語ってみることにする。
非公式として、英国海軍ではじめて水兵にラムが支給されたのは1655年のことだといわれている。前年末にペン海軍中将の艦隊は植民地拡大のためにカリブ海、西インド諸島のバルバドスの海軍基地に到着。すぐさまスペインと戦い、ジャマイカ島を征服した。ペン中将はその時、船上で海兵にラムの支給をおこなったとされている。
当時、航海中の飲料は樽に入れた水とビールだけだった。飲料は極めて貴重であり、どこかに寄港しないかぎり補給することはできない。冷蔵設備のない時代だから日持ちもよくない。それぞれの艦の艦長は貯蔵量に従いながらも、自らの裁量でその日その日の配給量トット(tot/一杯、少量)を決めていた。
英国海軍はビールの代わりにワインやブランデーの配給も許していたが、西インド諸島ではどちらも入手することは不可能だった。そこで特産の蒸溜酒ラムの登場となったのである。
それからは西インド諸島の英国海軍拠点基地ではラムの配給が慣例化するようになる。やがて1731年、海軍省はラムの1日のトットを一人1/2パイント(1パイント568ml)と決定し、1日2回に分けての配給を公式に承認した。
海軍省は1740年にはトリニダード、バルバドス、ジャマイカ、南米ガイアナのデメララ産といったラムを本国に輸送させ、ロンドン東部のテムズ川河畔に位置するデッドフォードで食料供給部にブレンドさせるようになった。この供給所は1961年に閉鎖されるまでつづいた。
ただし1日半パイントものラムは暴飲を招く。そんな海兵に艦隊勤務をつづけさせなくてはならない艦長はたまったものではない。
そこで同じ1740年、バーノン提督はラム配給前に水で薄めることを強制。さらにライムジュースと砂糖を加えることを奨励する。もちろん当初は「水で薄めるなんて」と乗員から不満の声が上がった。
ケチ臭いという意味合いも含め、バーノン提督がいつも着古したグロッグラム・クローク(ウールとシルクの交織の目の粗い生地)という防水性の外套を羽織っていたことにかけて、海兵たちはラムの水割り(混ぜ物)を“グロッグ”と呼ぶようになる。やがてアルコール分の弱い酒でも飲み過ぎればフラフラになるところから“グロッギー”(groggy)という言葉が生まれた。
このグロッグ、ライムジュースが入ったことで長い航海で不足するビタミンCを補い、壊血病対策につながった。当時はそんな効能はわかっていなかったが、バーノン提督の強制した規則は大きな効果をもたらしてもいる。
グロッグにライムジュースを加えた飲み物は“ライミー”と呼んだ。また英国船や英国海兵には“ライムジューサー”のあだ名がつく。
面白いことに、海軍省ではその後も配給量や水を何倍に薄めるかの検討、変更が何度もおこなわれており、その度に“グロッグ委員会”なるものが開かれている。提督を揶揄したドリンク名がいつの間にか公式に承認されていたのだ。