イタリアのルネサンス期、ベルナルディーノ・ルイーニ(Bernardino Luini/1480・1482頃~1532)という画家がいた。一説にはレオナルド・ダ・ヴィンチの下で仕事をしていた時期もあったといわれており、彼の遺した絵画にはダ・ヴィンチ作と見まがうような作品が多い。
聖母マリアだけでなく女性を描いたルイーニの作品にはダ・ヴィンチの影響がはっきりと見受けられる。ただいくつかの作品を観ていくうちに素人目にもふたりの違いがわかってくる。感覚的に言うならば、ダ・ヴィンチの描く女性はどことなくクールで、ルイーニには艶(つや)を感じる。リキュール「ディサローノ・アマレット」の誕生秘話と結びつけたくなるような甘美さがある。
誕生秘話に関しては連載第3回『切ない恋の伝説』で述べているが、あらためて簡単に説明しておく。
1525年、ルイーニはロンバルディア州の都ミラノの北、サローノの町にあるサンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会(1498年創建、1508年完成)にキリスト生誕のフレスコ画を依頼されて出向く。伝えられている話として、彼は町の旅籠の女主人をモデルにして聖母マリアを描いたとされている。制作中にルイーニと女主人は惹かれ合うが、別れの時がやってくる。ルイーニは次のクライアントに向かう旅立ちに際して女主人の肖像画を描いて贈り、彼女は返礼に芳香成分に杏(あんず)の種子の核を使ったアーモンドに似た香りのするリキュールを手渡した。
これが「ディサローノ・アマレット」の伝説である。この話は小説化されており、2006年にイタリアの女流作家マリナ・フィラートが『マドンナ・オブ・ジ・アーモンド』(Madonna of the Almonds)のタイトルで出版。さらにフィラート女史はイギリス最古の香水商、フローリス(FLORIS)に物語をイメージした香水を依頼し、2010年には小説と同名の香水が発売されてもいる。
フローリスに関しては連載第10回『ボンドとデュークス・バー』で007、ジェームズ・ボンドの愛した香水で紹介しているのだが、時の流れというものはさまざまな面で結び合うものだと驚かされる。
旅籠の女主人は寡婦であった。戦争未亡人である。サローノの町が属しているロンバルディア州は1395年からミラノ公国としてつづいていたが、1494年から何度もフランスに侵攻されて戦いが繰り広げられている。おそらくその間の戦で夫は亡くなったのであろう。
彼女がルイーニに手向けたリキュールの風味は、杏の核がもたらす杏仁豆腐のような、アーモンドのような、フェミニンできっと切ない感覚に包まれていたことだろう。ルイーニが町を訪れた1525年はヴァロワ家(フランス)とハプスブルグ家(神聖ローマ帝国・スペイン)がイタリアでの覇権を巡り争っている最中でもあった。
1531年にルイーニは再びサンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会に戻り、フレスコ画を描き加えた。女主人と再会し、彼女のリキュールを再び味わうことができたと願いたい。翌年、ルイーニはミラノで逝去。サローノの教会で描いたルイーニの作品は、彼の最高傑作のひとつであるとされている。