地名を冠したスタンダードカクテルがいくつもある。でも、なんで東京というメジャーなカクテルがないんだろう、としばしば思う。
ニューヨークには『マンハッタン』という世界的人気の高いカクテルを筆頭に、『ニューヨーク』『ブロンクス』といった名の知られたカクテルがある。
グラスを傾けながらあれやこれや想いを巡らせるから飛躍し過ぎた展開になってしまうのだが、歌の世界にも東京といえばこれだ、っていう曲がないような気がする。新宿、銀座、赤坂、六本木に渋谷、池袋といった街が舞台の歌はたくさんある。名曲も多い。時代を超えて歌い継がれている曲もある。ただし、ほとんどが恋だの愛だの。あるいは東京という大都会に憧れて夢破れてみたいな歌詞ばかりだ。
慕情、挫折といったワードが浮かぶ。ネガティブである。センチメタルである。
日本人は自慢げに、声高らかに肯定しない、と謙虚さを讃えての反論もあるだろう。欧米コンプレックスじゃないか、と言われるかもしれない。そんなこといまさらである。歌なんだよ。誇ってもいいではないか。もしかして、日本ではポジティブに大ヒットなし、といった業界のジンクスでもあるのだろうか。
こんな想いがわたしに湧き起こったのは20歳前後のことだ。子供の頃、外国といえば、まずはアメリカだった。映画、TVドラマ、そして音楽に感化されていた。
18歳だったはずだ。ブロンクス出身のビリー・ジョエルの『ニューヨーク・ステート・オブ・マインド』がヒットする。わたしは痺れた。そしてアメリカの中でも、ニューヨークという都市をしっかりと意識するようになった。
たしか翌年、映画『ニューヨーク ニューヨーク』が公開され、ライザ・ミネリが作品中、ステージでテーマ曲を歌うシーンは圧巻だった。そしてフランク・シナトラがこの『ニューヨーク ニューヨーク』をカバーして大ヒットとなる。
時を経ずして、沢田研二が糸井重里作詞で『TOKIO』を歌い、おお、歌謡界も変わるか、と期待を持たせた。ところが八神純子が同じ時期に『パープルタウン』とニューヨークを歌った。そこからである。なんでニューヨークってのは、高らかに誇らしい曲になるのだろう、と。
成人していたわたしは背伸びして「マンハッタン」や「ニューヨーク」を飲みながら、東京はいいぜぃ、って曲が生まれることを願った。
21世紀になり、ジェイ・Z、アリシア・キーズの『エンパイア・ステート・オブ・マインド』が大ヒットする。胸に抑え込んでいた想いがまた湧き上がった。コンクリートジャングルを誇らしく高らかに歌い上げている。
この曲をニューヨークの小学生たちが替え歌にして大合唱する姿を映像で観たりすると、微笑ましさとともに羨ましい。