8/26(水)
19:00開演(18:20開場)大ホール
サントリーホール・メンバーズ・クラブ先行発売: | 5月11日(月)10:00〜5月14日(木) |
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一般発売: | 5月15日(金)10:00〜 |
※学生券はサントリーホールチケットセンター(Web・電話・窓口)のみ取り扱い。25歳以下、来場時に学生証要提示、お一人様1枚限り。
※セット券はサントリーホールチケットセンター(電話・窓口)、東京コンサーツ(電話・Web)での取り扱い。
8/30(日)
15:00開演(14:20開場)大ホール
サントリーホール・メンバーズ・クラブ先行発売: | 5月11日(月)10:00〜5月14日(木) |
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一般発売: | 5月15日(金)10:00〜 |
※学生券はサントリーホールチケットセンター(Web・電話・窓口)のみ取り扱い。25歳以下、来場時に学生証要提示、お一人様1枚限り。
※セット券はサントリーホールチケットセンター(電話・窓口)、東京コンサーツ(電話・Web)での取り扱い。
写真をクリックすると、プロフィールがご覧いただけます。
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今回、プロデューサー・一柳慧が新曲を委嘱した5人の作曲家、山本和智、山根明季子、川島素晴、森円花、杉山洋一。
そして、大御所と呼べる作曲家、米国のエリオット・カーターとドイツのカールハインツ・シュトックハウゼン、日本の高橋悠治と権代敦彦も今回のシリーズに登場します。
彼らの作品の魅力や聴きどころ、さらに自身の新曲「交響曲第11番」について、一柳慧がたっぷりと語ります。
聞き手:松本良一(音楽ジャーナリスト)
「今年のサマーフェスティバルは、若手〜中堅の作曲家4人+1人に新作を委嘱するという、おそらくはこの催しが始まって以来の斬新な企画。一柳慧プロデューサーによって選ばれた作曲家たちは、なるほど、相当に作風の異なる人々だ。しかも20代、30代、40代、50代とまんべんなく幅広い年代に渡っており、男女比もほぼ半々。
現時点では、いずれもまだスコアのみしか存在しない楽曲ばかりではあるが、以下、5つの委嘱作品と、そして一柳自身の新作の魅力について素描を試みたい。これらの楽曲は、今回のテーマ“2020東京アヴァンギャルド宣言“に対する、それぞれの回答ということになろう。」
1950年代から60年代にかけて、さまざまな分野の高揚した環境の中で生まれ培われた20世紀のアヴァンギャルド音楽の精神。そこで横溢していた燃えるような情熱に裏付けられた自由な精神や、勇気ある行動力、闊達な冒険心、そして理想を志向する精神性などの生き生きとした営みは、強い刻印として当時の多くの作曲家達の根幹をつかさどる原動力であった。
だがその高揚した状況も、年を経るに従い、次第に衰退し、当時活躍した多くの人が亡くなったこともあって、昨今の弛緩した状況へと変質しつつある。現在はこれからの芸術音楽をどのように考え、創造してゆけばよいのかが厳しく問われている時代だと言ってもよいだろう。一方でAIの台頭や、デジタル化など、科学的思考が顕著に進む中、音楽が有する身体的感触や、作家特有の個の存在感などが失われてきていることへの配慮もおろそかに出来ない筈である。
幸い今の日本には、音楽の歴史を新しく変革しようとする若い創造者が次々と誕生してきている。今回はそのひとにぎりの人達の作品しか紹介できないもどかしさが残るが、モダニズムから発祥した前衛創成期の絶対性や進歩的教条主義を超克し、より混成的また拡張的な21世紀のアヴァンギャルド音楽の世界への探検の旅をつくることができればと思っている。
アヴァンギャルドはフランス語で前衛。元々は軍隊用語と言われる。本隊よりも前を行く。しばしば幾つかのグループに分かれている。真っ先に戦闘を始め、生き残る率も低い。でも、うまく行けば前線を死守し、前衛隊のどれかが、どこかに突破口を開く。そうか、この攻め口こそ、進むべき道か。日和見をしていた本隊はようやく自信をもって前衛のつけた道筋から攻め込む。
この軍隊用語が政治や芸術に転用された。まだ見ぬ未来のヴィジョンをいち早く思い描き、仮に応援がなくとも、大胆に突撃する。
すると、道なき道を行く前衛か、道が出来てから行く本隊か、道があってもなお足踏みする後衛かは、どう判別されるか。音楽だと響きの新しさを問題にする人が多い。むろん、それは大切な要素だ。だが今現在にすぐ消費されてしまう新奇さだけなら前衛として生き残れない。前衛はありうべき未来を切り開くのだから。瞬間芸だけではだめなのだ。音への斬新な創意と過去現在への批判意識と未来への希望の哲学の三位一体でなければ、本物の前衛ではない。
しかも、本物の前衛は今新しく生まれ起こるものにばかり見いだされるのではない。たとえば、19世紀の思想家、マルクスは今も本物の前衛だろう。昔の音楽でも今ますます未来とつながりそうな作品もあれば、新しい音楽でもいきなり骨董化している作品もある。
ここに恐るべき目利きが居る。一柳慧である。プロデュース公演の曲目を観よう。 たとえば1960年代や90年代の高橋悠治、00年代のシュトックハウゼンやエリオット・カーターの曲がある。それらは回顧のための選曲ではないだろう。いずれも現在の文脈でますます未来につながりうる道を示す作品だろう。そして日本の中堅若手の作曲家たち。言葉の最良の意味で、見事なまでに本隊的性格を持ち合わせていないと、私見では感ずる人ばかりが、よくも揃ったものだ。
ではプロデューサー本人はどうか。文化勲章を受けるほどの大家が本隊的でないということがありえようか。いや、一柳に限ってはありうる。グランド・オペラと交響曲と電子音楽と図形楽譜との間を遊撃的・機動的に行き来して倦まないこの作曲家に、誰もが納得し腑に落ち安心できる説明が与えられたことは未だ嘗てあるまい。一柳は依然として未来に開かれた謎である。
2020年にとってアクチュアルなアヴァンギャルドとは何か。本物の前衛はどこに?
演奏者の選択にもプロデューサーの意欲が色濃く反映されている。未来への大きな示唆が、この音楽祭には必ずある。