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Liqueur & Cocktail

カクテルレシピ

デビルズ・カクテル Recipe Devil’s Cocktail

サンデマン
ルビー ポート
1/2
ドライベルモット 1/2
レモンジュース 2dashes
ステア/カクテルグラス
材料をステアして、グラスに注ぐ

禁酒法施行直前のN.Y.人気レシピ

ポートワインをベースにしたカクテルを前回につづき紹介する。今回はクセがありそうなカクテル名ながら味わいは真逆といえるとても美味しくて口当たりのいい「デビルズ・カクテル」である。

ただし話の内容はちと怖い。「デビルズ・カクテル」を調べていくとヒューゴ・リチャード・エンスリン(Hugo Richard Ensslin/1879−1929/イラスト参照)がニューヨークで刊行した『Recipes for Mixed Drinks』(初版1916年。翌17年第2版)に行き着く。

おそらく「デビルズ・カクテル」がはじめて紹介されたカクテルブックではないかと推察される。ただしそれだけではない。これが歴史的価値の高い驚きの1冊なのだ。

同時代の背景としてアメリカの禁酒法成立の流れを辿ってみよう。いくつかの州議会では禁酒法をすでに立法化していたのだが、1917年12月に憲法修正第18条が合衆国両院議会を通過した。

そして1919年1月16日に3/4州(当時は36州)による批准が完了して憲法の修正条項が成立したのだった。これにより翌1920年1月16日から禁酒法が施行(1920−1933)された。

この1冊は禁酒法成立直前のものであり、禁酒法以前に刊行されたアメリカ最後のバーテンダー・ガイドとされている。

とにかく内容が興味深い。多くの人が述べているのだが、目を通すとアビエーション・カクテルをはじめ、グレナデンやアップルジャック、トリプルセック(無色透明なオレンジリキュール)といった当時の新しい素材を使ったカクテルが紹介されている。

エンスリンが著わそうとしたのは当時のニューヨークでつくられていた標準的なカクテルのレシピ・リストを記録することであった。怖いと述べたのはこのことで、たとえば1930年にロンドンのサヴォイ・ホテルのバーテンダー、ハリー・クラドックが刊行した『The SAVOY Cocktail Book』において、クラドックが考案したとされているカクテルの多くがエンスリンの1冊に掲載されているからだ。

クラドック・ファンの方たちには申し訳ないが、以前から“古いレシピ考案に関しては、大声で言った者勝ち”とわたしは述べてきた。こちらも多くの方々が語っているが、クラドックを責めることはしない。

わたしも同じ気持ちである。彼はアメリカで働いていた。禁酒法前に故郷イギリスに帰ってサヴォイ・ホテルに勤める。自作の信憑性は薄く、昔は誰もがやっていたことである。

サヴォイのカクテルブック、そしてクラドックの素晴らしさは編集能力の高さとデザイン性にあるのではなかろうか。ワクワクしながらページを捲っている自分がいる。一流ホテルならでは、の洗練、粋がある。

実のところエンスリンの1冊は自費出版であった。おのずと発行部数は限られる。希少性が高過ぎて埋もれてしまう。

また彼は一流とはいえないホテルのバーテンダーだった。ニューヨークで目立つこともなく、決して話題となる人物ではなかった。彼はただひたすら純粋に、当時愛されていた標準的なレシピを記録したのだ。

そして21世紀となり、エンスリンのカクテルブックは突如として注目を浴びることになる。長い年月を経て、2004年、この1冊をデヴィッド・ウォンドリッチ(David Wondrich)という人物が見つけ出した。

自費出版であり、決して美しい装丁ではないが、禁酒法施行直前のニューヨークで何が飲まれていたかを明らかにしてくれる内容にウォンドリッチは驚愕する。しかも先述したように、数世代にわたり参考書のように扱われていたサヴォイのカクテルブックで初出、あるいはクラドック考案と見なされていたレシピがたくさん掲載されているのだ。

およそ100年後の2011年、ついに再出版される。ワシントンポスト紙はこのエンスリンのカクテルブックを“宝石”と称えた。

不死鳥のように21世紀に飛翔

ヒューゴ・R・エンスリンはドイツ系アメリカ人である。1879年2月にドイツで生まれたことがわかっている。少年の頃から画家と写真家の見習いをしていたらしい。そして16歳でスーツケースひとつを持って、一人でアントワープからアメリカに渡る。ニューヨークはハーレム5番街2013番地に長年暮らすことになる。

まずはレジ係として数年間働き、しばらくしてオハイオ州に行き、一度ドイツに帰国している。しかしながら祖国の情勢を好ましく思えなくてニューヨークに戻る。1907年には結婚。そして1910年代はじめにタイムズスクエアのウォーリック・ホテルのバーで働く。

やがて慌ただしいときを迎えことになる。エンスリンがカクテルブック第2版を刊行した1917年、禁酒法が議会決定されただけでなく第一次世界大戦(1914−1918)にアメリカが参戦する。すると翌18年、彼はなんと祖国ドイツを倒すためにアメリカ軍に入隊している。

さらには1925年にウォーリックホテルの支配人を追って、ペンシルベニア州のウィルクスパリに移る。そこでスターリング・ホテルのレストラン経営に携わる。ところが1929年、健康上の問題か経営不振が理由かは不明のようだが、エンスリンは銃で自殺してしまう。

50歳を超えたばかり。第一次世界大戦時の入隊を想えば、こころ熱い男であったのではなかろうか。窺い知れない複雑な精神状態にあったのだろうか。カクテルブックにしてもハーレムの自宅で懸命に執筆、編集をおこなっていたことだろう。真っ直ぐな精神が激烈な結果を招いたのかもしれない。

ハリー・クラドックとはあまりにも対照的な人生である。しかしながら時を重ね、そんなエンスリンの熱いこころから生まれた1冊が、21世紀になって不死鳥のように飛翔したのだった。

さてやっとカクテルの味わいをお伝えする。「デビルズ・カクテル」はドライベルモットがいい役割を果たしている。ポートワインとのつなぎ役として酸味、甘みが心地よく伝わってくる。少量のレモンジュースも効いている。素敵なワインのニュアンスを抱いたカクテルといえよう。

デビルらしさは色感からくるものではなかろうか。味わいはどちらかというと天使に近い。是非とも試していただきたい。

イラスト・題字 大崎吉之
撮影 児玉晴希
カクテル 新橋清(サンルーカル・バー/東京・神楽坂)

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サンデマン ルビー ポート
サンデマン ルビー ポート

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