前回の第119回エッセイでシェークによる「ギブソン」をご紹介した。一般的にはステアでつくられるのだが、古くはシェークによる処方でもつくられていたようだ。
また、誕生説においては“ギブソン・ガール”のイラストで名声を得ていたチャールズ・ダナ・ギブソンの19世紀末エピソードがこれまで語られていたが、いまでは疑問符がつけられているとも述べた。カクテルブックでの初出は1908年であり、掲載レシピにはパール・オニオンをグラスに沈める記述がないために、さまざまな説が飛び交う要因となっていた。
現在、支持を集めている説がある。1890年代、ウォルターD.K.ギブソンという高名なビジネスマンが、サンフランシスコを拠点にする“ボヘミアンクラブ”でつくったというもの。“ボヘミアンクラブ”は1872年に設立された紳士社交クラブで、演劇、音楽、文学をはじめとした芸術愛好家クラブとして現在もつづいている。芸術家やハリウッドスター、政治家などの著名人も多数会員になっていることでも知られている。
毎年2週間にもわたりたくさんのイベントや勉強会が開催されるようだが、催しのなかには全裸での水泳もあったりするらしい。クラブの重鎮であったウォルターD.K.ギブソンは、水泳を楽しんだりするなかで、「玉ねぎを食べると風邪を引かない」と語っていたらしい。実際、1960年代後半、彼の子孫が「頑なに信じていた」とインタビューで応えているようだ。
何故この説が支持されるのか。1898年の『NEW YORK WORLD』紙に掲載されたエドワード W. タウンゼントのエッセイのなかに、架空の人物が“残りの人生、ギブソンを宣伝するために楽しく仕事をする”との文章があるらしい。現在これがカクテル「ギブソン」に言及した最古の文献とされる。タウンゼントは、“ボヘミアンクラブ”の副代表であった。
1917年、ミズーリ州セントルイスのバーテンダー、トム・ブロックが著したカクテルブック、『The Ideal Bartender』に示された「ギブソン」(ドライジンとフレンチベルモット2 : 1ステア)のレシピにもパール・オニオンは登場していない。しかしながら「オニオン・カクテル」という興味深いカクテルが紹介されている。
当初はそのカクテルについて、かなりの勘違いをしていた。アメリカのある文献に、ブロックが掲載した「オニオン・カクテル」のレシピには、擦りおろした玉ねぎを搾り入れると紹介されている、と書かれていたのだ。
半信半疑ながら、昔だから、あり得るかもしれないと納得していた。おそらく擦りおろした玉ねぎを布かなんかに包んで絞り、その汁を入れたのではないか、と勝手な解釈をしたのだった。
後日、『The Ideal Bartender』に目を通すことができた。するとやはり、玉ねぎ擦りおろしではなかった。単純にオニオンを添えるだけである。おそらくパール・オニオンのことであろう。
正確にはオールド・トム・ジン(加糖されたジン)とスイートベルモットの2:1をステアし、グラスに注ぎ、オニオン1個を入れる。「マティーニ」の原形とされる赤い「ジン&イット」のアレンジである。しかも驚くことに、ブロックのカクテルブックには「マティーニ」が掲載されていないのだ。
カクテル「ギブソン」がニューヨークではなく、西海岸のサンフランシスコ生まれとされているころが、“ボヘミアンクラブ”説のポイントではなかろうか。ここからはあくまでわたしの推論である。
19世紀半ばゴールドラッシュで湧いたカリフォルニア。世界各地から人々が集まってきた。ヨーロッパから持ち込まれたのだろう。すぐに玉ねぎ栽培がおこなわれ、1850年代にはかなりの数の玉ねぎ農家があったらしい。サンフランシスコで「玉ねぎを食べると風邪を引かない」と信じられていたとしても何ら不思議ではない。
カリフォルニアでは、閉鎖的な“ボヘミアンクラブ”の「ギブソン」が、大衆にはわかりやすい「オニオン・カクテル」として広まったのではなかろうか。それが西海岸からアメリカの真ん中に近いセントルイスに伝わったとき、「ギブソン」と「オニオン・カクテル」が別物になっていたのではなかろうか。
ドライジンとオールド・トム・ジン、ドライベルモットとスイートベルモットの違いがあるからもともと別物ではないか、と思われるだろう。しかしながらドライジン、ドライベルモットがアメリカで流通しはじめたのは19世紀末のことである。とくにベルモット。当時の主流はスイートベルモットであり、ドライの普及は遅れた。そのためベルモットを扱うレシピは、多くのバーテンダーが入手しやすいスイートを使う傾向にあったといえるだろう。
かつて長く「マティーニ」のレシピにスイートとドライが混在していた点が、それを物語っているような気がする。したがって「オニオン・カクテル」のほうは、主流であったスイートで伝わっていったと推測したのだ。
さらには、似たレシピの「マティーニ」はアメリカ中西部ではまだ認知度が低かったのではないか。カクテルブックに「マティーニ」の掲載がないのは、そんな時代背景があるのかもしれない。
レシピが現在のように確立してはいなかった。東海岸で「マティーニ」がドライ化されて全米でメジャーになるにつれ、「オニオン・カクテル」よりも「ギブソン」のほうが市民権を得たのではないだろうか。
勝手な推論である。すべては歴史の霧のなか。
さて今回はステアで「ウオツカギブソン」を紹介しよう。ベースはジャパニーズクラフトウオツカ「HAKU」である。
通常レシピよりもドライな「HAKU」とドライベルモット7 : 1の比率で味わってみた。これがなかなかいい。
原料に国産米100%使用したふっくらとしなやかな味わいにベルモットが溶け込み、柔らかい甘みを生んでいる。7 : 1のハードさはまったく感じられない。全体としては丸みがある印象だが、後から「HAKU」の酒質に潜む吟醸酒的な辛味が浮遊してくる。これがとてもいいアクセントになっていて、他のウオツカベースとはひと味違う。
是非一度「HAKUウオツカマティーニ」を味わっていただきたい。