土曜日の夜9時。バーに馴染みの客が集まりはじめる。独りでやってくる爺さんはピアノ弾きの近くの席に座り、いつものジン&トニックでいい気分になっている。
「若いの、あの曲をやってくれないか。俺がおまえさんみたいに若くて洒落モノだった頃の曲だ。甘酸っぱい想い出がよみがえるんだ」
爺さんは、「みんなをいい気分にさせてくれ、歌ってくれ」とピアノ弾きにリクエストする。
ビリー・ジョエルが生んだ名曲『ピアノ・マン』はこんなシーンからはじまる。ピアノとハーモニカの軽快なイントロはジン&トニックのように心地よく身体に沁み込んでくる。歌詞はピアノ弾きの目に映るバーの情景なのだが、なかなかに切ない。
ノリのいいメロディーは切なさを振り払うかのようで、わたしには酒場の哀愁をより深めているように感じられる。バーでの時間だけは背負った荷を下ろそうよ、日常を忘れようよ、と語りかけてくる。
ビリーの実体験を描いた曲だという。ニューヨークからロサンゼルスに行き、デビューしたもののうまく事は運ばず、契約問題が解消されるまでの間、彼はロスのピアノラウンジで歌手として隠遁生活を送っていたらしい。
そして新たなレーベルと契約して最初にリリースされたのが『ピアノ・マン』である。1973年、ビリー24歳であった。
この曲をわたしが最初に聴いたのは、ラジオのFM放送から流れたものだった記憶がある。高校生の頃で、すぐさま気に入る。ただし、歌詞への強い思い入れはなかった。バーのピアノの弾き語りはイメージできても、酒場はまだ遠い場所だった。
大人になり、酒に関わる文章に携わりはじめて、ひとつのフレーズが気になる。それは爺さんが飲む“tonic & gin”。ジン&トニックじゃなくてトニック&ジンのほうが韻を踏んでいて、リズムとして歌いやすいのだろうが、それからは歌詞をじっくりと味わうようになった。そして、こういうバーがあったら自分も常連になるのに、と憧れた。
ピアノ弾きによく酒をおごり、気の利いたジョークを言うバーテンダーのジョンは現状にうんざりしていて、「ここから抜け出せたら、俺は映画スターにだってなれる」と嘆く。自称作家で不動産ブローカーのポールは忙し過ぎて独り身がつづく。彼の相手をするのは海軍から抜け出せそうもないデイビーだ。そして客あしらいがうまいウエイトレス。ちなみに彼女はビリーの最初の奥さんでマネージャーだった女性がモデルだという。
土曜夜のバーはさまざまな人間模様を描きだしながら賑わい、店のマネージャーもご機嫌だ。ピアノの響もカーニバルのように盛り上がっていく。