カクテル「ジン・フィズ」を取り上げようとして、深い森に足を踏み入れてしまった。古くに誕生したカクテルで、現在はマイナーになりつつあるけれど、美味しいよ、と伝えたい気持ちだけであった。ところが。
Fizzとはソーダ水の炭酸ガスが弾ける音からきた擬声語だといわれている。シュッ、という音がどうしてフィズとして捉えられるのか疑問なのだが、それよりもまったくもって余計な発見をしてしまったのだ。
これまで、1888年にアメリカはニューオーリンズの『インペリア・キャビネット・サロン』のヘンリー・ラモスによって「ジン・フィズ」は誕生した、と伝えられてきた。彼がレモン・スカッシュにジンを加えた、という文章を目にすることが多い。
先日、いくつかの古いカクテルブックを眺めていた。そのひとつに1882年に刊行された、ハリー・ジョンソンというワシントンD.C.のバーテンダーが著した『バーテンダーズ・マニュアル』があった。久しぶりの衝撃だった。この本にいろいろなフィズが掲載されているではないか。
卵黄を使った「ゴールデン・フィズ」、卵白を使う「シルバー・フィズ」、それに「ウイスキー・フィズ」や「モーニング・グローリー・フィズ」といったレシピも掲載されている。そして当然「ジン・フィズ」も紹介されている。ヘンリー・ラモス創作以前に存在していたカクテルなのだ。
ハリー・ジョンソンの本では誕生経緯を読み取ることはできない。極めて自然なレシピ紹介で、1882年にはスタンダードであったと言わざるを得ない。ならば、といまわたしは1870年代のカクテルブックを探っているが、現段階では見つけられていない。
発祥がわかったからといって、だからなんだ、ではある。美味しければいいじゃん、である。しかし深い森に足を踏み入れてしまったのだ。面倒だが、しばらくは古い文献を探りつづけることになるだろう。
とりあえずハリー・ジョンソン『バーテンダーズ・マニュアル』1882年版のレシピをお伝えしよう。
大きめのグラス(Use a large bar glassとある)に砂糖を1/2テーブルスプーン、3〜4ダッシュのレモンジュースを入れる。そこにシェーブドアイス(薄く削った氷。日本では、かき氷的なもの)をグラス半分ほどの量を詰め込み、さらに1/2ワイングラス分のオールドトムジン(加糖されたジン)を注ぎ、ステアする。最後にソーダ水を満たす。
現在のレシピと明らかに異なるのは、シェークをしない、という点だ。以前、親しいバーテンダーがわたしにしてくれた話を思い出した。彼は、戦前からのバーテンダーだった大先輩(すでに鬼籍に入られている)たちに、「昔、ジン・フィズはシェークをしなかった」と聞かされたという。その証が1882年のカクテルブックにあった。では、いつ頃からシェークになったのか。気になりはじめるとキリがない。
現在はドライジン、レモンジュース、砂糖をシェークして、ソーダ水で満たすというつくり方である。味わいのほうは語るまでもないが、スッキリとしたキレのいい甘酸っぱさがスーッと口中を滑っていく。ベースには柑橘系のキレ味のいい「ビーフィータージン」がふさわしい。