ジンジャーエールを使ったカクテル「ジン・バック」を紹介しよう。その前にジンジャーエールの歴史を簡単に説明しておこう。
まずは基になったジンジャービアについて。ビアといってもビールではない。カクテル「モスコー・ミュール」は正式にはジンジャービアを使う。
日本ではマイナーな清涼飲料で、口にしたことのある人は少ないのではなかろうか。ショウガの風味が強く濃い。水、砂糖、ショウガ、レモンジュースにドライイーストを加えて発酵させてつくる。発酵によって生じる微炭酸が特長で、多くは製品化前に発酵を止めてアルコール分も飛ばしている。
18世紀からイギリスやその植民地で飲まれてきた。かつてはアルコール分もあり、1855年にはアルコール分2%以下に制限されている。20世紀初頭まではメジャーな飲み物であった。
このジンジャービアに取って代わったのがジンジャーエールである。はじまりは1850年代のこと、アイルランドの薬剤師兼外科医トーマス・ジョセフ・カントレル(アメリカ人だった)が現北アイルランドのベルファストでジンジャーエールを発明し、地元の飲料メーカーで瓶詰されて販売されたといわれている。
これは、ゴールデンジンジャーエールと呼ばれるものらしい。濃い色で、甘味とともに強いジンジャースパイスの風味があるとされる。
さらにまた進化をみた。いま我々がよく口にしている透明感のあるペールドライジンジャーエールが登場する。これはカナダの化学者であり薬剤師でもあったジョンJ.マクラフリンによって誕生したものだ。
1890年にソーダ水の瓶詰め工場を設立したマクラフリンは、1904年にショウガのフレーバーエキスを開発すると、ペールドライジンジャーエールとして発表する。これが後の禁酒法時代のアメリカで大人気となっていく。
マクラフリンの開発以前はどうかというと、ショウガ汁やレモン、砂糖などを材料にして、ソーダ水で割って自家用につくられていたようでもある。1900年代に突入した頃のアメリカのカクテルブックには、ジンジャーエールのつくり方を記したものもある。
バーテンダーが自らつくり、カクテルに使っていたのだ。その代表が現在スコッチウイスキーとレモンジュース、ジンジャーエールでつくり上げる「マミー・テイラー」である。また、かつてはジンベースをはじめ、さまざまなスピリッツをベースにしていたようだ。
ペールドライジンジャーエールが製品化された後に生まれたカクテルが「ジン・バック」である。おそらく、カナダ産ドライジンとジンジャーエールのタイアップ・プロモーションから生まれたものではなかろうか。1930年代のカクテルブックにそんな推測を呼ぶ記述がある。だからベースをロンドンドライジンにした場合は「ロンドン・バック」と差別化したのだ、とわたしは考える。
バック(buck)には牡鹿(stag)の意味もあるらしい。多くのカクテルブックに、キックのある飲み物ということからの命名と記されている。
ほどよい酸味と甘みを抱いた清涼感からは、キックというよりは牡鹿の伸びやかな跳躍のほうをわたしは想い浮かべる。キックが効いていなければ飛び跳ねることはできない、ってことなのだろう。
さて、「モスコー・ミュール」。ウオツカベースにライムジュース、そしてジンジャービアを使用したこのカクテルは、1941年にロサンゼルスのコックンブルというレストランで誕生したといわれている。実は、ジンジャービアの在庫を大量に抱え込んで悩んでいた時に、まだアメリカではマイナーで苦しい状況に合ったウオツカとタイアップして生まれたものである。
これはジンジャービアの存在感が失われつつあったことを物語っている。それでも「モスコー・ミュール」がスタンダードとして定着したのは、ジンジャーエールでの代用によるところが大きいのではなかろうか。
ところで、ミュール(mule)はラバのことだそうで、こちらもキックの効いた飲み物ということらしい。