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【富山県・南砺市】スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド

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サントリー文化賞受賞団体へのインタビュー
〜震災の影響を乗り越えて〜サントリー文化賞受賞団体へのインタビュー
〜震災の影響を乗り越えて〜

第3回 兵庫県南あわじ市 淡路人形座(淡路人形協会)

淡路人形協会 淡路人形座とは?(1997年サントリー地域文化賞受賞)

淡路人形座 支配人 坂東 千秋さん (右)
芸名坂東千太郎。1983年入座。人形遣いを経て、1994年より支配人。

淡路人形座 スタッフ 松山 光代さん (左)
1985年入座。事務担当。

震災後の苦労

――1995年1月の阪神・淡路大震災では、淡路島の被災状況はいかがでしたか?

坂東淡路島は外から見ると小さい一個の島と思われるんですけど、実は南北約60キロくらい距離があって、北と南でかなり状況が違っていました。人形座のある南あわじは震度4程度で大きな被害もなく、18人の座員も皆無事でした。震災に対する感覚は、身内が亡くなったり被害にあったりした北部の方々とは全然違ったと思います。

――直接の被害は少なかったものの、震災後の経営は大変ご苦労されたと伺っています。

坂東震災で淡路島全体の観光客が激減しました。人形座も、団体が軒並みキャンセルで、1998年の明石海峡大橋開通までの約2年間、以前の三分の一くらいまで減ったままでした。当時は1日8回公演だったんですが、お客さんが一人二人の状態でやったり、休演の回もありました。入場料で運営しているので、座員の給料を出すのに、雇用調整の助成金をもらったりもしました。

――そういう状況で、将来に不安を感じることはありませんでしたか?

坂東座員には、大変な時期やけど皆で乗り切っていこうと呼びかけていましたが、不安はあったと思います。淡路島は観光業の人は多いし、これからどうなるのか、淡路島はあかんのかなとか。当たり前のことが当たり前でなかったというのはその時すごく感じましたね。
でも亡くなった人が多い中で普通の生活ができるのはありがたいことやと思って、お客さんのために技芸をもっと高めておこうと努めていました。

――お客さんを呼び戻すために、何かされましたか?

坂東入場料を安くしたり、観光企画を考えて旅行業者に情報を流したり、観光協会と一緒に名古屋や中国地方までPRにいったりしました。観光協会でも安全宣言をいつ出せるか何度も議論していたんですけど、まだ避難している人もいる中で、こちらだけ安全ともいいづらい状況でした。

文化がつなぐ人と人

1996年2月シアトルにて。ワシントン州知事 マイク・ローリー氏を訪問

――震災の影響は様々あったと思いますが、その中で印象的だったことはありますか?

松山海外公演の時来てくださった外国の芸術関係の方々が、大勢心配して連絡をくださいました。驚きましたしうれしかったですね。淡路が震災にあったと聞いて、すぐに電話が通じなかったので、東京などの知り合いに淡路人形座は大丈夫かと尋ねて下さったそうです。その時、何年たっても自分らのことを覚えてくださっている方がいるんやなというのがわかりました。淡路と聞いただけで淡路人形座と結びついて心配してくださるありがたさというか、1回感動した印象はずっと続くのかなって嬉しくなって、そういう仕事できてる自分らはいいなと思いました。
それから兵庫県が、姉妹提携先のシアトルに、義捐金のお礼の使節として私たちを派遣してくださったんです。当時お世話になった県の方々には、その後も何かと相談に乗っていただいて、プライベートでも淡路にご家族を連れてきてくださったり、今もお付き合いが続いています。劇団として一番困っている時に仕事で行かせてもらえて本当にありがたかったですし、普段と違うことをさせてもらったおかげで色々なつながりができました。

――震災後、運営に変化はありましたか?

大鳴門橋記念館内にある「淡路人形浄瑠璃館」

坂東震災以降、お客さんの流れが変わりました。明石海峡大橋開通で一度盛り返したものの、以前は年間12万人以上だったのが、今半分くらいにはなっています。もっとお客さんを増やしていかなければと思っています。今は大鳴門橋記念館の一角で公演を行っていますが、舞台も狭いので演目も限られます。広い舞台で設備も整え、淡路ならではの演目を充実させて人形座の魅力を高めていきたい。そのために、新会館の準備を進めています。新会館は福良港のうずしお観潮船乗り場近くで建設が始まっていて、そこではグッズ販売などの副収入拡充の方法も考えています。経営の安定は、伝統の継承にとっても大切なことです。

文化ができること

――東日本大震災に対して、何かしたいけれど実際は難しいと悩んでらっしゃるとお聞きしました。座員の皆さんの間で、話し合われたことを教えてください。

坂東座員の中には東北にボランティアに行った者もおって、向こうで人形浄瑠璃できへんかと皆で話してはいるんです。たとえば海の神様の“えべっさん”の「えびす舞」を、海が穏やかになるように、福ふくしいえべっさんを見て、少しでも和んでもらえたらとか。ただ、そういうもんが場に合うのか、何もわからない状態です。
何かできへんかと思ってるんですけど、今しているのは、義捐金の箱を置く、そのお金を送るということくらいです。行動派の座員ばかりなんで、何もできへんもどかしい気持ちは皆持っています。

――このたびの震災を受けて、あらためて文化ができること、文化の力について、お考えを聞かせていただけますか?

現在、公演は1日5回

坂東自分らも被災しましたが、どれだけ経験があるかというと、大したことはなかったので、こういうことを言うのはおこがましいという気もあります。
ただ言えるとしたら、文化はすぐに生活に役立つもんではなくて、ゆとりというかそういうもんだと思うんです。でも、すぐに使うもんだけじゃなく、生活には心の拠り所というか潤いが必要で、文化はいつか必ず求められるはずです。だからこそ、先人から受け継いだものを大切に続けていきたい。それが大事だと思っています。

(2011年5月取材)

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