酒場で小説の話になると、決まって「小、中、高と3回、太宰治の『走れメロス』で読書感想文を書いた。太宰には大変お世話になった」と得意気に話す友人がいる。読書家の彼とは大学時代からの付き合いだから、おそらくもう30回以上はこの話を耳にしているはずだ。
その場に他にも友人がいるときはいいのだが、彼とわたしのふたりきりで飲んでいるときに『走れメロス』が登場した途端、もういけない。毎度わたしは「そうか。3回も書いたのか」と答えたきり黙ってしまい、しばらく話が弾まなくなってしまう。
太宰の名作といわれている作品をわたしは苦手としている。学生時代にしっかり読もうと何度も挑戦してみた。しかしながらどの作品も途中から超猛スピードの斜め読みになり、結末まで辿りつくと「ああ、こういう話なんだ」で片付いてしまい、何の感慨も湧いてこない。このエッセイの読者に熱烈な太宰ファンがいらっしゃったらゴメンナサイ。
なんとなく好感を持って読めたのは、『ヴィヨンの妻』の中に収録されている『親友交歓』と『トカトントン』の2作品である。しかも大学生の頃に読んだ作品だから、いまとなっては筋を忘れてしまっている。
友人がまんざらでもない顔で語る『走れメロス』は、たしか小学校の教科書に載っていたような気がする。たぶんその頃は面白いと思って読んだはずである。それから随分と歳を重ねてはいるが、作品について語れるほどの文学の素養がわたしには身に付かなかった。わたしなんぞよりはるかに読書家の友人はといえば、何故か『走れメロス』以外の太宰作品に一度も触れたことがないらしい。
さて、6月。この月のTVニュースのトピックスのひとつとして、よく取りあげられるのが“桜桃忌”(おうとうき)である。
太宰が1948年6月13日、東京三鷹市近郊の玉川上水で愛人と入水自殺した(享年38)。遺体が上がったのが6月19日で、奇しくもこの日は太宰の誕生日であり、さくらんぼの季節と太宰晩年の作品「桜桃」にもちなみ、太宰を偲ぶ日として桜桃忌(太宰忌とも)と名づけられたようだ。
実はわたしはこの短編によって、さくらんぼのことを桜桃と呼ぶのだということを知った。内容はちっとも理解できなかったが、作品は苦手であっても太宰に少なからず恩恵を受けている訳である。そしてさくらんぼが店頭に並びはじめると、桜桃の季節になったのか、と毎年呟くようになった。
そして誰かがわたしに桜桃について何か書け、ともし命じてきたら、桃は好きだが桜は嫌いだ、なんてすっとこどっこいな文章を書いちまうんだろうなと苦笑しつつチェリーリキュールを使ったカクテルを想い浮かべる。