ロンドンの中心部、テムズ川の河畔にウェストミンスター宮殿がある。イギリスの国会議事堂であり、ビッグ・ベンの愛称で知られる大時計台というか時計塔を象徴としている。正午に奏でられる鐘の音は、日本の学校で鳴る、あのチャイムのメロディである。
学校嫌いで、サボることばかり考えている少年だったわたしが、大人になってロンドンへ行き、はじめて正午のビッグ・ベンの鐘を耳にしたときはかなりショックを受けた。ロンドンに来てまでこのメロディを聞くとはなんてこった、と脱力感を覚えた。
曲名を“ウェストミンスターの鐘”というらしい。日本では学校や防災無線のチャイムに取り入れたのだと知り、そうか仕方がないか、ビッグ・ベンにはなんの罪はないからな、とこころに言い聞かせつつ、新しいメロディに変更すればいいのに、と呟いてしまった。誠に申し訳なく、失礼なことをした。
ただし宮殿は見事なまでの荘厳な建造物である。現在の建物の主要部分は1834年の火災で焼失した後、1840年の礎石から20年の年月をかけて築き上げられたものだ。ただし1941年にドイツの爆撃で一部が破壊され、1950年に復元されている。ちなみにビッグ・ベンは1859年に完成している。
この威厳と格式に満ちたウェストミンター宮殿をテムズ川の対岸(南側)から臨む場所、ケニントン地区のモントフォード・プレイスにビーフィーター蒸溜所(蒸溜所は1820年創立)がある。
ジンといえばロンドン・ドライジン、といわれるほど名高い。しかしながら世界的なイギリスのジン・ブランドで現在もロンドンの地でジンをつくりつづけているのは「ビーフィータージン」だけである。ウェストミンスター宮殿のお膝元で、伝統と誇りを守りつづけている。
面白いのは、ビーフィーターとはロンドン塔の衛兵の愛称であり、ロンドン塔は蒸溜所近くのウェストミンスター宮殿よりもずっと東のテムズ河畔にあることだ。「ビーフィータージン」を生んだジェームズ・バローは王室を愛したのであろう。
ここには王室に伝わる王冠、宝剣、宝石などの歴史的な宝飾品が多数納められている。ジェームズにとって生粋のロンドン・ドライジンのブランド名には、王室の威厳を守り、イギリスに繁栄をもたらす、といった気概を込めたかったのではなかろうか、とわたしは決めつけている。
とにかく、ブランド名が衛兵の愛称でよかった。もし「ビッグ・ベン」という名だったら、いくら素晴らしい香味を誇っていても、わたしの場合は飲むたびに学校のチャイムの音がアタマの中で響き、嫌になっちゃったかもしれない。