太平洋戦争前夜の銀座のバーでは「ブラジン」、ブランデーのジンジャーエール割が大人気だったという。終戦から5年経った1950年、池袋にトリスバーがオープンするが、そこでチーフバーテンダー的役割を努めた石川淳司氏からこの話を伺った。石川氏が現在もお元気でいらっしゃるかどうかわからない。ご自宅をお訪ねしたのは10年以上も前のことである。
石川氏は中学卒業と同時に銀座のバーで修業した。経験の浅い駆け出しの身であっても「ブラジン」をつくらされたのだという。あまりにもオーダーが多くて、店側としては修業の坊やに「ブラジン」だけを教え、とにかく対応するほかはなかったようだ。
「ひと晩中ひたすらつくらされたこともあり、さすがに嫌になりました。さて、何杯つくったのか。ああ、やっと一息ついた、と思ったら閉店時間だった、なんて日もありました」
石川氏の話を伺ってわかったのは、昔から日本人はちょっと甘めでシュワシュワと泡立つドリンクが大好きだということである。明治時代からサイダー、ラムネといった清涼飲料の味わいに慣れ親しんだ日本人にとって、ブランデーのジンジャーエール割の甘みのある爽やかさは受け入れやすかったのである。
ジンジャーエールは1890年にカナダのトロントで誕生した。日本でも大正時代には製造されていたようだが、世界中に広まり人気が高まったのは1930年代半ばのことだそうだ。石川氏の銀座時代と一致している。「ブラジン」はファッショナブルでスタイリッシュなカクテルだったのである。
戦後、石川氏はトリスバー1号店でトリスのハイボール(トリハイ)をはじめ、ウイスキー&ソーダをたくさんつくった。そのなかにはバーボン&コーク(コークハイ)もあった。アメリカ進駐軍の影響もあるが、ちょっと甘くて爽やかな味わいの人気は、戦争という悲惨な中断があった後により高まったともいえる。
さて、「ホーセズ・ネック」というカクテルがある。かつてはバーで飲んでいる人をしばしば見かけたが、21世紀に入って忘れられてしまったかのようだ。
ベースとなるスピリッツはウイスキー、ブランデー、ジン、ラムなどさまざまで、それらをジンジャーエールで割る。日本では「ブランデー・ホーセズ・ネック」がポピュラーだ。レシピは「ブラジン」そのもので、スタイリングが大袈裟といっていいほど特長的である。
レモン1個分の皮を螺旋状に剥き、コリンズグラスといった背の高いグラスのなかに入れて飾りつけるというもの。レモンの皮のスタイルを“馬の首”にたとえていると多くのカクテルブックに述べてある。わたしはまったくピンとこない。
名前の由来はさまざまにある。アメリカの25代大統領セオドア・ルーズベルトが遠出する際に、愛馬の首を撫でながらこのカクテルを飲んでいたから命名された。欧米では古くから収穫を祝う秋祭りに、農耕の主役であった馬の首に見立てたスタイルのカクテルが飲まれていた、などなど。ただアメリカのケンタッキーではかつて、サラブレッドの飼育、調教関係者や競馬ファンたちの間で縁起のいい名のカクテルとして「ホーセズ・ネック」が飲まれていたようだ。
どこで誕生したかは明確ではないとしても、特長的なレモンの皮のスタイルには意図があったはずだ。清々しい涼風のようなレモンの香をたっぷりと浴びながら飲むのにふさわしいシーンがあったからではなかろうか。馬での遠乗り前、秋祭り、競馬など、晴天のもと自然豊かな空気につつまれたシーンばかりが浮かんでくる。
青く澄んだ空が広がる昼間に寛ぎながら飲むのがふさわしい気がする。天高く馬肥ゆる秋が似合うカクテルである。
カクテルファンのなかには単純に「ブラジン」がいいという人もいらっしゃる。ブランデーにレモンジュース、ジンジャーエールの「ブランデー・バック」を好まれる方もいらっしゃる。そして「ブラジン」にささやかな香りづけとしてレモンピールが添えてあればいいという方も。味わい方は人それぞれだ。
おそらくこうした飲み方はスタンダードなバーで飲む現代人の感覚なのではなかろうか。長いレモンの皮から放たれる強い香りをそんなにまで必要としないのだと思う。ただし、食後にシガーを燻らせて「ホーセズ・ネック」を飲む素敵な年配の方もいらっしゃる。その方にとってはそれが最高のマッチングという訳である。
早い話、「ホーセズ・ネック」を紹介しながらブランデーのジンジャーエール割は美味しいよと言いたいだけなのだ。心地よい甘みがスーッと口中を滑り、誰もが親しみやすい味わいといえる。
ベースとなるブランデーは、わたしの場合「クルボアジェV.S.O.P.」を好む。ぶどう由来の甘みがしっかりと感じられ、模範的ともいえるブランデーらしい味わいである。これにジンジャーエールの爽快で刺激な甘みが加わるとこころがポカポカとあたたまり、優しいこころもちになる。