ジュリーこと沢田研二という歌手をいまのヤングはどれほどに知っているだろうか。わたしの10 代、20 代はジュリーの時代だった。1960 年代後半、グループサウンズ全盛期にザ・タイガースのリード・ボーカルとして国民的アイドルとなった。色気のある豊かに響く歌声に美貌をも持ち合わせ、とくにティーンエイジャーの女の子たちから狂信的なまでの人気を獲得した。
小学生だったわたしも女の子に負けることなく、何枚かのレコードを持っていたほどだ。
ソロとしてのジュリーのデビューは1971 年のことになる。しだいに彼はタブーというものを知らぬかのように弾けてみせた。化粧、アクセサリー、カラーコンタクトなど、当時の日本の男としては突き抜け過ぎていて異質であり、香港では「日本のデヴィッド・ボウイ」と称されて注目を浴びた。
日本初のビジュアル系といってもよく、日本におけるグラムロックの先駆者と評されている。あるときは女装、あるときは帽子を斜めに被り、またあるときはジーンズからスキットルを取り出してウイスキーを口に含んで吹き飛ばしてみせた。すべてにセクシーで退廃的ともいえるエロティシズムを薫らせ、不世出の大スターと断言できる。
そのジュリーが阿久悠の詞によってボギー路線、ハンフリー・ボガートにまつわる曲を歌った。
『時の過ぎゆくままに』(75 年)、『勝手にしやがれ』(77 年)、『カサブランカ・ダンディ』(79 年)と2年おきに発表している。
名曲『時の過ぎゆくままに』はボギーとイングリッド・バーグマンの映画『カサブランカ』(1942 年)の挿入歌『As Time Goes By』の和訳タイトルを歌詞にいただいたものだ。
『勝手にしやがれ』(1959 年)はフランスの巨匠ゴダール作品で、ジャン=ポール・ベルモント演じるミシェルがボギーに強い憧れを抱いている設定であり、映画の日本語タイトルをそのまま使っている。
そして『カサブランカ・ダンディ』では、ボギーの時代は男が気障でいられた、と直接的に歌い上げた。
映画『カサブランカ』はボギーの“Here's looking at you, kid”の名セリフが有名だ。直訳すれば“ 君を見つめることに乾杯、お嬢ちゃん”といった感じか。ところが日本では字幕の巨匠、高瀬鎮夫(1915-1982 年)が瞳という言葉を使った。見事というしかない。美しい意訳である。“ 君の瞳に乾杯”の名訳は永遠に語り継がれることだろう。
このセリフのときの酒が「シャンパン・カクテル」。いまの時期、年末年始の華やかさにふさわしい一杯だ。20 世紀初頭にはすでに飲まれていたカクテルらしいのだが、映画によって、ボギーによって世界中に知られるようになった。
ボギーは男の気障や痩せ我慢を演じてみせた。それを映画『勝手にしやがれ』のミシェルのように崇拝する男たちは多い。しかしながらわたしはまったく憧れない。女々しくたっていいじゃないか、と思うのだ。というよりも、わたしは痩せ我慢なんぞできない。ハードボイルドに生きられない。
「シャンパン・カクテル」を目にしたり耳にしたりすると、ボギーとか“ 君の瞳に乾杯”なんてのはたちまちに吹っ飛んで、ジュリーが浮かび、そして高校生のときに付き合っていた女の子を思い出す。彼女はジュリーの大ファンだった。そしてとても美しい娘だった。
20 歳を前に彼女に振られた。わたしは泣いたどころか号泣、いやそれ以上に吠えた。ウォンウォーンと吠えた。
翌年、彼女のことを忘れかけてきたところにジュリーの『カサブランカ・ダンディ』が流れる。聴きながら、そうだ、気障でいられるか、と自分を慰めた。
長年、わたしは「シャンパン・カクテル」を飲めなかったし、人にもすすめてはいない。シャンパンベースのカクテルといえば「キール・ロワイヤル」の名をすぐさま挙げる。飲んだことのない人には自宅で簡単に愉しめるし、「ルジェ・クレーム・ド・カシス」の甘酸がシャンパンとシンクロして麗しい、と告げる。とにかく高校時代のジュリーと彼女の思い出から避けようとしていた。
歳を重ねて、やっと「シャンパン・カクテル」を飲めるようになった。飲みながらジュリーの歌声とともに彼女との思い出がよみがえってくる。いまどこで、どうしているのだろうか。会ってみたい気もするが、女子高生のまま記憶の中にいてほしい気もする。
「シャンパン・カクテル」は角砂糖にビターズをドロップし、シャンパンで満たす。角砂糖を溶かしながら立ちのぼる気泡はいたずらな天使たちのように華麗で、その時間経過とともに味わいには変化がある。はじめはすっきりとしたシャンパンの酸味を感じながら、やがて甘さとわずかにほろ苦さが漂う。
するとジュリーの『時の過ぎゆくままに』の曲に重なって、高瀬鎮夫の数ある名訳のひとつが浮かんでくる。
ボギーの映画ではないが『ある愛の詩』(1970 年)の中でのセリフ、“Love means never having to say you're sorry”だ。高瀬は字幕に“ 愛とは決して後悔しないこと”と記した。
すべては、時の過ぎゆくままに。