Liqueur & Cocktail

カクテルレシピ

マイ東京 Recipe My Tokyo

角瓶 30ml
オレンジキュラソー 20ml
サントリーライム 10ml
シェーク/カクテルグラス
材料をシェークして、縁を砂糖でスノースタイルにしたグラスに注ぎ、マラスキーノ・チェリーを沈める

大きな盛り上がりを見せたカクテルコンクール

アジア初のオリンピックは1964年の東京五輪。56年前の10月10日に開催(10月24日閉会)された。今回はその東京五輪を記念しておこなわれたサントリーカクテルコンクールでチャンピオンに輝いた作品を紹介しよう。

同年5月にコンクールの発表がおこなわれ、10月末日が応募〆切りだったようだが、五輪記念ということもあってバー業界はかなりの盛り上がりを見せたようである。応募総数は13,830にも上った。

最高位の特選受賞者にはニューヨーク世界博覧会(万国博覧会/1964年4月〜1965年10月開催)ご招待という副賞も大きな魅力であったことだろう。というのは、このオリンピックイヤーに、日本人の海外観光渡航が自由化(ただし年間1度のみ)になったのである。

それまでは外国に勝手に観光に行くなんてことは許されなかった。一般人はビジネス取引、国際的イベント、研究や留学といった大義名分がなければパスポート申請なんてできない状況にあった。

敗戦国だった日本が再び世界に認められ、新たなステージへと飛躍しようとする年であったことがよくわかる。開催前から東京では高級ホテルが建設され、街の上に首都高速道路が張り巡らされていく。五輪開会式10日前、10月1日には東海道新幹線が開業した。国家としての躍動感にあふれていたといえよう。ある意味、大騒ぎでもあった。

 

さてサントリーカクテルコンクールだが、全国を北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州の7ブロックに分けて、それぞれのブロックで決勝をおこない、翌1965年1月22日に全国決勝が開催されている。かなり大規模なものだったようだ。

しかも決勝は東京と大阪の2会場で同時審査というユニークな方式が取られている。両会場でバーテンダー協会の若手バーテンダーが決勝作品をつくっていく。審査員は東京15名、大阪15名で、バーテンダー協会の役員に加えて、東京は石井好子(シャンソン歌手)、梶山季之(作家)、野坂昭如(作家)、大阪は寿岳文章(英文学者・和紙研究家)、イーデス・ハンソン(当時タレント)、西本幸雄(当時プロ野球阪急ブレーブス監督)など、多数の著名人の名が見られる。

同時審査であり、東西会場の模様は終始電話で伝えられたという。審査集計も東西の合算という形式だった。

トレンドとなったグラニュー糖スノースタイル

このコンクールで特選、つまりチャンピオンに輝いた作品は「マイ東京」(上田芳明作)。1980年代くらいまでに刊行されたカクテルブックにはよく登場していた。

ベースの「角瓶」にオレンジキュラソー、トリスライムジュースをシェーク。そしてグラスの縁(ふち)を砂糖でスノースタイルにするというもの。この砂糖、つまりグラニュー糖が時代を物語っている。

グラスの縁を塩で飾るスタンダードカクテルに「マルガリータ」や「ソルティ・ドッグ」などがある。砂糖となると決してメジャーとはいえない「シカゴ」くらいしかわたしは知らない。ところが、かつて日本のコンペティションの優勝作品に砂糖でのスノースタイルが多い。

まず1955年オールジャパン・ドリンクス・コンクールでの第1位作品「キッス・オブ・ファイヤー」(石岡賢司作)。つづいて1958年サントリー(当時寿屋)主催のカクテルコンクール第1位作品であり、現在も人気のある「雪国」(井山計一作)が砂糖のスノースタイルである。そしてこの「マイ東京」。

何故、砂糖がよく使われたのか。先日、大先輩の酒類研究家の方に、砂糖のスノースタイルが好評を得た理由を尋ねてみた。その方によると、確かな証拠はないが、グラニュー糖が広まっていくなかで、バーテンダーが先取りしていったのではなかろうか、ということだった。

日本は長きにわたり上白糖の国である。一方、グラニュー糖が日本でつくられはじめたのはおそらく1922年頃であり、戦前は高級品であったために広く出まわることはなかった。戦後の復興とともに、豊かさが増していくなかでグラニュー糖も使われはじめる。

それでも1960年代前半までは洋菓子店(いまでいうパティシエが活用)、ホテル、高級レストランといった限られた業態が主流であったようだ。

バーテンダーたちは時流を捉えていたのである。グラニュー糖をあしらったグラスの縁取りは、暗く重い敗戦から高度経済成長に向けて走り出した日本の明るさを象徴していたのではなかろうか。

カクテルはおそらく、現在の製品でつくる味わいと当時とでは若干異なるはずだ。オレンジキュラソーとコーディアルライムジュースはいまよりも甘みがズンと強調されたものであったことだろう。

現行製品を使って味わってみた。「角瓶」というウイスキーのアルコール感の中にオレンジ・ライムが溶け込んだ、優しい味わい。ところが口中で溶け込む微量の砂糖の甘みが効いていて、これがインパクトとなって全体を引き締めている。

創作者の上田芳明氏(大阪)の特選受賞コメントに“オリンピックを経て、東京が国際都市としての価値を高めていくなかで、辛口でも、甘口でもない、コスモポリタンな感覚に仕上げてみました”とある。もしかして、当時とそんなに遜色の無い味わいかもしれない。

1964年、歌謡曲においては美空ひばりの『柔』が大ヒットした。そしてザ・ピーナッツ『ウナ・セラ・ディ東京』、西田佐知子『東京ブルース』もヒットしている。東京を冠したネーミングが流行した年でもあった。

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イラスト・題字 大崎吉之
撮影 児玉晴希
カクテル 新橋清(サンルーカル・バー/東京・神楽坂)

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サントリーウイスキー 角瓶
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