市村さんは、三味線を始めた姉の影響で、小学3年生から浄瑠璃の“語り”を始めた。本当は姉と一緒に三味線を弾きたかったが、当時三味線は4年生から。選べたのは太夫だけだった。始めは乗り気でなかったが、浄瑠璃をやめてしまう同級生の傍ら、今では太夫を続けたいと思えるようになった。
「同じ太夫の中3の男の子がいて、その子は高校に入ったらやめるって言ってるんですけど、(自分は)できれば高校生になっても続けられたらなと思ってます。」
公演の後は「全然できてへんわと思うことばっか」でうまくなったと感じたことはないと市村さん。でもお客さんが顔を覚えてくれて、「うまくなったね」と声をかけてくれると笑顔で話してくれた。
一番楽しいのはやはり舞台に上がること。そして、公演に向けて皆が一つになれることだという。
「三味線と太夫と人形と囃子があって人形浄瑠璃ができる。なかなかあわなかったりするんですけど、やっぱりみんなが同じ目標をもってやるのが楽しい。」
「子どもよりもテンションが高い」鹿角座の大人たちと一緒にいると、学校とは違う自分でいられるそうだ。大人も子どもも分け隔てなくおしゃべりしたり、練習したりする中で、市村さんは他では得られない楽しさを見つけ、自然と続けたい気持ちが出てきているように思えた。
早瀨さんの三味線との出会いは2004年。小学4年生の時、浄瑠璃のワークショップのチラシをみて、直感的に三味線を選んだ。
「学校でチラシが配られて、めずらしいんでやったろと思って。三味線がいいなと急に思いました。最初は正座がいややなと、そればっかり。でも楽器とかあんまりさわったことなかったんですごい楽しかったです。」
高校で浄瑠璃三味線をやっていると話すと「しぶっ」と言われる。でも早瀨さんにとって鹿角座は、特別な感動を得られる場所だ。
「年一回の舞台が一番楽しい。今年なんかもそうやったんですけど、拍手してくれて、泣いてはる人もいてすごいなと。こんな体験できんのすげえなと思う。」
地方の大学に進学希望だが、必ず鹿角座に戻ると断言する。帰って、みんなに「あいつが戻ってきたぞ」と言ってもらいたい。大人たちは本当にできるのかと心配するが、早瀨さんにとってはやりたいことを続けるだけ。それに何の疑いもない。
でも、三味線のプロになりたいわけではない。将来は体育の先生か警察官と決めている。やりたいのは、鹿角座で三味線を弾くことだ。稽古は厳しいけれど、細かい所を一つ一つ直してもらい、うまくなるのが面白いそうだ。小学生の頃に初めて三味線を教えてもらった師匠にも、今の自分を見せたいという。上達している自信が伺える。
これからの鹿角座について尋ねると「もっと若い人に見てもらいたい」という。
「僕らぐらいの人にいっぱい見てもらいたい。やっぱりじじくさいっていうのはあると思うんですけど、そんなん取り払って面白く見てほしいです。」
稽古でも舞台でも、早瀨さんの成長を喜んだり、感動したりしてくれる人たちがいる。それが、自分の三味線への大きな自信と誇りになっていることが伝わってくる。鹿角座を宣伝するなら?と尋ねると「とにかく見てほしい。見てもらったら、すごいって言わせる自信あります」と力強い答えが返ってきた。