バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ビーム・ファミリー・ヒストリー

世界No.1バーボン「ジムビーム」で名高い、ビーム家の話をしよう。

バーボンウイスキーの歴史はビーム家なしには語れない。18世紀末から今日まで、200年以上、7代にわたり一族でウイスキー事業に携わっている。

古くからの歴史を誇るアイルランドやスコットランドのモルト蒸溜所にも、ここまで長きにわたり事業を維持しつづけている家系はない。世界のウイスキー史において唯一といえるだろう。

しかもアメリカは1920年に禁酒法によって蒸溜業界の灯りが消えた。1933年の禁酒法撤廃後、いちはやく蒸溜の火を灯したのはビーム家である。

それからは立ち止まることなく、アメリカンウイスキー業界をリードしつづけている。

 

アメリカでのウイスキーづくりは17世紀末、ペンシルベニア、メリーランド、ヴァージニアといった地域に入植した移民たちがはじめた。それはライ麦を主原料にしたライウイスキーだった。

独立戦争(1775〜83)以降に当時まだヴァージニア州の一部だったケンタッキー郡(1792年郡から州へ昇格)への入植が盛んになる。第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンがヴァージニア州知事だった時(1779〜81)、アパラチア山脈を西に超えたケンタッキーで、土着穀物であるトウモロコシ栽培に従事すれば土地を与える、という奨励策を打ち出したことが大きい。

ドイツ系移民、ジェイコブ・ビームは1785年という早期入植者である。家系はそのずっと前にメリーランド州でアメリカでの生活の第一歩を踏み出しているが、おそらくそこではライウイスキーをつくっていたことであろう。

ジェイコブはケンタッキーで農業のかたわらトウモロコシを原料にしたウイスキー蒸溜をはじめる。そして1795年には樽詰めバーボンウイスキー「オールド・ジェイク・ビーム」を発売し、本格的に蒸溜業を開始した。

バーボン誕生説に定説はないが、彼はバーボン誕生期に生きた人物であり、ビーム家がバーボンの歴史とともに歩んできたことに間違いはない。

とはいえ19世紀はライウイスキーが主流であった。ところがビーム家2代目デビッド・ビームはバーボンの将来的成長を読み、蒸溜所を拡張し、いち早く連続式蒸溜機を導入して事業展開拡大をはかる。そして新ブランドの開発を手がけ、彼が亡くなる前年の1853年に「オールド・タブ」を発売した。


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