19世紀から20世紀初頭にかけて炭酸飲料が大人気となり、産業として成長していく幸せなアメリカの陽の部分をしばらく語ってきた。今回は禁酒法という陰の部分をちょっとだけ語ってみることにしよう。
クラフトバーボン「ノブクリーク」のボトルを眺めると、いつもアメリカの禁酒法がアタマをよぎる。
ボトルの独特のスタイリングは禁酒法時代に人々がブーツに隠しやすい形状のフラスクボトルに酒を入れて持ち歩いたことから、その形状をモチーフにしたもの。ラベルの紙質やデザインは新聞紙にボトルをくるみ、取締官の目を盗んで飲んでいたことにちなむ。
この「ノブクリーク」はビーム家6代目ブッカー・ノウ(現7代目フレッド・ノウ)が1992年、禁酒法時代以前の力強いバーボンの復活を目指して創り上げたものだ。9年超熟成、100プルーフ(アルコール度数50%)。たしかに力強く、またコクもある。しかしながらやはり現代の洗練がある。アルコール度数の高さを感じさせない、しなやかでリッチなバニラ様の甘さは長年にわたり培われてきた匠の技の結晶である。麗しいといえるほど見事なつくりだ。
力強さの復活ではあるが、禁酒法以前に9年以上熟成のバーボンはなかったであろうと想像しながら、いつもわたしはストレートで啜っている。
さて「ノブクリーク」の香味に導かれながら、ドライ派(dry/禁酒派)の動きが活発化した様子を見つめてみる。ちなみに反禁酒派はウェット(wet)。
まずはイラストをご覧いただきたい。禁酒運動の急先鋒、多大な影響力を誇った反酒場連盟(Anti Saloon League)が発行していた、1919年1月25日付け新聞のヘッドラインを描いたものである。
1919年1月16日、当時48州のうちの3/4以上、36州による批准が完了して憲法修正第18条が成立した、歴史的重大事、とドライ派の勝利を高らかに謳ったものだ。
そしてその1年後、1920年1月16日から禁酒法が施行されたのである。
反酒場連盟について語る前に、禁酒法成立までの長い道のりを知っておく必要がある。急ぎ足で流れをお話しよう。それでも少々長くはなる。