バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ジョー・リッキー

ジン、ライムジュース、ソーダ水。とてもシンプルなレシピで、爽やかなライムの酸味が効いた「ジン・リッキー」は透明感のある味わいで魅了する。

この「ジン・リッキー」の誕生のきっかけは、ライウイスキー、もしくはバーボンウイスキーベースのカクテルであった、というお話をしたい。

アメリカが生んだ、歴史的なウイスキー・ハイボール誕生物語である。

まずはこの話の主人公ジョゼフ・カイル・リッキー(1842-1903)という名の男について述べたい。

アイオワ州生まれのようだが、成人して南隣のミズーリ州で政治と関わるようになる。1870年代からは民主党のロビイストとしてかなりの影響力を発揮していたようで、首都ワシントンD.C.ではカーネル・ジョー・リッキーとして知られ、顔役的存在となっていく。

アメリカ大統領で唯一、第22代と第24代の連続ではない2期を務めたスティーヴン・グローヴァー・クリーヴランド(1837-1908/第22代任期1885−1889・第24代任期1893-1897)の大統領選で、彼は多大な貢献をした。クリーヴランド政権では軍事組織委員会のメンバーに任命されている。

次に、カクテル誕生の舞台である、ワシントンD.C.にあった『シューメーカー』(Shoomaker’s/Shoo’sとも)というバー・レストランを紹介しよう。

創業は1858年。南北戦争よりも前のことになる。米墨戦争(1846-1848/アメリカ=メキシコ戦争)で従軍商人だったドイツ系移民のウィリアム・シューメーカーが創業した。国会議事堂周辺一帯をキャピトル・ヒルと呼ぶが、店はその一角に位置し、政治工作員たちのたまり場だったといわれている。

1883年7月のある朝、下院の組成や下院議長選出で慌ただしいなか、カーネル・ジョー・リッキーが6人のスタッフを連れて『シューメーカー』にやってくる。前夜に、というか朝方まで羽目を外し、ホテルで仮眠をとっただけの状態でやってきて、迎え酒をしようというものだった。

カーネル・ジョー・リッキーは店に入ると、カウンターにフレッシュライムがあるのを見て喜ぶ。彼の身体が極上の酸味を欲していたのだった。


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